いろいろ始まる季節は殊更ゆっくり動きたいものです

ゆるしか図書館「居場所づくりの回」が終わってだいたい2週間。はやいな~。

さすがにちょっと疲れているようで、ボーっとスマホを眺める時間が増えてきた。イカイカンと思う。

今週はド平日にパートナーひろくんと米子松江でプチ旅行をして、季節のお花を眺めてたくさん食べて、ゆっくり過ごしました。

 

「居場所づくり」のことを考えてしまうのは、前回のゆるしか図書館をやったからでもあるし、今月半ばから活動拠点(仮)を借りるからでもある。同志(のちのち名前出していいかどうか確認しておかなきゃな~。本件の重要人物なので。)とアパートの1室を借りることにした。

私はそこで、ゆるしか図書館を常設して、ナンデモスペースとして開放するなり、虹らくとか屋台部の部会を開いたりする予定。あとこれは妄想段階だけど、いい感じの器をちょっとずつ集めて、それを使えるようにしたいな。同志もたぶんそんな使い方をするだろう。(今思ったけど同志というよりは「似志」とか「近志」って方がしっくりくる)

 

あーあ、どんな風になっていくんだろう。楽しみでもあり、持て余さないか不安でもあり。でもまぁ、なるようにしかならん。焦らずともよい。ゆっくり考えよ。

 

 

ここ数日の私はこの調子で何かとずっとモヤモヤしている。

「居場所を作りたい」と「居場所が欲しい」ってのは、似て非なりだし、自分はどっちなのか(どっちの比率が高いのか)しっかり考えて自覚をもつべきなんじゃなかろうかなんて自問自答も始めてしまった。

シンプルに信頼できる友達が欲しいというだけのことに、大人の偏屈さや世間体や承認欲求や社会的意義みたいな、小難しいコロモを付け足してカサマシしていないか?

とか考えると、どうにもしかめっ面になってしまう。あんまり考えずに隅っこに追いやってしまいたい。

それなら余計に、これからも引き続きしかめっ面して考えていかないといけないテーマなんだろうなと思う。

 

思えば「虹色らくだ」や他の団体、サークルもそうで、「誰かがやるならやる」という人が多かったな。きっと彼らは居場所が欲しかったのだ。「作る」ではなく、欲しかった。

居場所づくりをして、他者や自分にとって居心地のいい空間を作る、ということができるのは、より気力体力がある人のやることかもしれない。そうだとしたら、自分はどの場所に立っているのかな。

誰かのために動けるほど余裕があるのだろうか。自分のことで精一杯なのだろうか。私のことだから、おそらく例によって「グレー」な場所にいる。

自分のキャパを図りながら、シンプルな自分の気持ちを確かめながら、どこまでカサマシが出来るかを探る。他者や社会にどれだけ開いていくかは、自分が信頼できる自分の手の届く範囲でいいじゃないね。

 

「ゆるりとしっかりかくじつに」とはよく言ったもんだ。本当にそうだね。

あーあ、漠然と不安だ。これが春か。今日雨だしな。ぼちぼちやりましょう。