クライアントへの警戒モードが解けない問題
役所をたらい回しにされる
病院をたらい回しにされる
まぁ、ポジティブな感じはしないわね。
今度、民生委員の方に向けて講演をするにあたり、先方が聞きたいことのひとつに、「どこに相談すればいいですか?誰に繋げたらいいですか?」というのがある。
まぁこれも、民生委員当事者からの声なのか、研修をセッティングする役場職員の考えなのかはわからないけれど。
それで、私がどう話せば、どういう道を作れば、悩みを抱えた人たちが「たらい回され」ないかを考えている。ここで資料作りが止まっている。
私がいる大好き空間”喫茶ミラクル””用瀬イエロービル”界隈、それから5月1日の楽しかった”BOKUGOTO・マサさん”界隈では、行けば毎回知らん人がおるし、あれよあれよと知らん人を紹介してもらったり、その知らん人からオファーがかかったり、新しいことが次々起こる。
しかもさっき見知ったばっかりの人と、別に「お悩み相談会」と銘打ったわけでもない場において、経営者の悩みとか、個人の課題、メンタルや生活や信条の話なんかをするんだ。できちゃうんだ。
ああいう空間・現象と、”オヤクショ的たらい回され”とは、なにが違うんだろう。
…で、ひとつ浮かんだのは、「繋がりたい人⇔繋げる人」間の信頼があるかどうか、かつ「繋げる人⇔繋げられる人」間の信頼があるかどうか、だと思う。これが決定的に違う気がする。
架け橋が信頼なるか、ならないか。これに尽きる。
そんな大事な架け橋サイドは、「こいつとこいつを引き会わせても大丈夫だ」と、橋の両端にいる人を見極める力が必要になるはずだ。
(一丁前なことを言って、私は架け橋をn度失敗してきたので、最近は専ら橋の近くにつっ立っている。)
困っている人に対して、マニュアルを片手に「○○課に行けばわかると思います、わからないですけど、たぶん」なんて言ってたら、信頼もへったくれもない。「○○課の○○さんを訪ねてください」とか言ってくれたらまだ良い。
でもそんなことより、「私はそれ専門外なんで。」「それ全然知らないんで。私はコレ専門なんで。他あたってください。」的な空気を出すのを今すぐやめてほしい。マジで出てる人居ますから。そうなったら、もうその人に紹介されたなんびとも薄っすら信用ならん。
民生委員の話に戻る。
私は講演中に「この団体が話を聞いてくれますよ」とか、「この人が色々知っていますよ」とか、架け橋しちゃっていいんだろうか。いや、できないな。
先に書いたように、「自分は詳しくないんで、誰に繋げたらいいですか?」的なご要望だと、ご期待に沿ってやるわけにはいかないな。まず、知ってくれ。
たまに相談を受けていて思うのは、「知識がある人と話す」だけで安心してくれることも多い。外国で日本語が聞こえた時みたいなもんだと思う。
そこから、医療行為が必要なら専門の病院に行けばいいんだし、そういう団体にアポ取ればいいんだし、傾聴が大事なら継続的に話を聞けばいいし。
そうだよ、そもそも、「どんな団体があるか」って、調べたことはあるのかしら。
どの団体にも、お問い合わせフォームはあるわけだし、LINE相談とか、電話相談とか、窓口いっぱい書いてあるじゃないか。それを知ってて「どこがいいですか?」と言われているわけじゃないとしたら、やっぱり最初は「知ってください」「知ろうとしてください」だよね。
…と、ここまで講演内容に含めるとマズいんだよね、たぶん。笑
どこまでがよくて、何を言ったらマズいのかの境界が読めなさすぎるので勘だけど、これは講演中は黙ってて、個人のブログに書く程度でおさめるのが”大人”なんだよね。多分。
つっかれるわぁ。