「40にもなって嫌われてる人、終わりでしかないわなぁ。」By孔子

世渡りが上手くいかん!!嘆き節の続きです。

 

学童の子どもたちを見ていて、「そりゃ絶対お前さんが悪いよ…!笑」って子がいます。周りの子を煽ったり、いじめたり、からかったり、必要以上に正論をぶつけまくったりするせいで避けられている子ども。

そりゃそうだ、お前が悪いわ!注意しても聞きやせん。そんで誰も構ってくれなくなって、寂しがってもそりゃアンタ…ドンマイ…。

 

だけどこれ、不思議なもんで全く他人事に思えない。というより理詰めで周囲と対立して嫌われてる姿は私でしかない。私もまさにああだった。

 

ああ、自分の中での正解は絶対譲れないんだけどさ、それ言うと嫌われるよ、浮くよ、煙たがられるよ、あぁ…わかる、わかるけどね…。学童の子どもと自分を重ねて胃を痛めながらも、「おい、言いすぎやで」「もう構わんでいいって」と仲裁に入る。マジで胃が痛ぇ。

 

自分を隠して同調圧力に染まることが出来るのも才だし、自分の思うことをズバッと切り込めるのも才だ。しかししかし、何よりも才なのは、そういう正反対の性質の中間を取れたり、「エエ塩梅」がとれることだと思う…。その才を磨いていきたい。獲得できるものだと信じている。

 

これまでの人生で獲得してきた理詰めの才。尖りすぎてる言葉の才。もはや才と言っていいのかも悩ましいけど、これを「羨ましい」と思う人もいる。ひろくん(恋人)とかがよく羨ましがってる。でも私は、ひろくんの我慢強さとか黙っていられる優秀な御口と冷静さが才に見える、羨ましくて仕方がない。世の中こういうもんだな…。

 

無駄に嫌われるような損な行動はしたくないけど、自分を曲げ過ぎたくもない。自分を曲げてまで好かれていたいとも思わない。

うーん、「エエ塩梅」とか「バランス」とか、ああいうワード、苦手やわぁ。

 

どうしたもんか。考え続けながら過ごすしかない。

三十にして惑わずまであと4年。行けるか、行けるのか…?(嘆)

でもまぁ、「年四十にして悪(にく)まるるは、それ終わらんのみ」とあるから、あと14年でなんとかなれば、なんとかなるでしょう。(大丈夫かな…)