田中に憧れてる人へ 教え導きませんm(__)m

ちょっと冷たいかもしれないけど、「どうしたらいいですか?」系の質問には、あんまりその人が望んだ答えを返さないと思う。

いや知らんけど。好きにしたらええやん。私が決めてどうなるん。人の責任持ちたくないし。ってなっちゃう。

逆に私が何か決める時も、あくまで参考程度に「どうしような」「○○氏だったらどうする?」とか聞くことはあっても、それはそれ。あくまで一助であって、だから何とすることもない。

 

過去のブログとかnoteかどっかにも書いた気がするけど、私は基本的に何かに我を失うほどお熱になることはなくて、”盲信”したり”絶対的信頼”を置くことがほとんどない。

 

講演活動をしていて、自分の考え方や生き様を話していく中で、多少は「誰かのロールモデルになれば」「こんなやつもいるって思ってもらえたら」と思ってはいるけど、なんかこう、すんごい熱量で”羨望の眼差し”?”憧憬の念”?を向けられてしまうと、(Oh…私とあなたは違う人間…なので…落ち着け…??)ってなってしまう。笑

誰かに何らかの感情を持たれること自体がそんなに好きじゃないっていうのもあるし、私は誰かの教祖になりたいわけではないのだよ…。

 

エセスピ・エセ医学の教祖ウォッチングをして思うのは、「教祖様に溺れたら解脱に苦労するぞ」です。

 

まずまず、教祖にハマる人の多くは、自分に自信がなくて、何かしらネガティブで、それを何かのせいにしたい人…という感じがする。不幸な自分、それは○○のせいだ!って思って、思考停止したい。逃れたい。そういう感じの人。

 

そういう人が「自分らしく生きている人」に遭遇して、憧れたり羨ましく思ったりする。そこまではいいんだけど、憧れの人が教祖様だった場合が悲惨なことになる。

上手いこと商材買わされたり、お金巻き上げられたり、根本解決に向かわないよくわからん儀式みたいなのさせられたり。

教祖様は「不幸の原因がは外にある」「自分はそのままでいい」みたいな、思考停止できて楽なことばっかり言ってくるから、居心地がいいんだよね。

結果、解脱させようとする家族や大事な人を切っていって孤立していく。金銭感覚がおかしくなって破産したりもする。

 

「これやってれば大丈夫」「これでなんとかなる」とか言って、根拠薄弱なことをさせたりとかね。

これが特に厄介で、そもそも学術的に根拠が示されていないことを指示してやらせておいて、効果がないときは「それはあなたの信仰心が足りないからだ」とか、これまた学術的でない理由をつける。そんなこと言われたら信仰を強化するしかないじゃんね。タチが悪い。

 

親族じゃないけど身近にも、病気が治るって言われてアロマ風呂に入り続けてる人居るけど、病院行ってほしい。パワーストーンじゃ治らんて。水素でも治らんて。

でもここで本当に治っちゃうようなこと(→幸せになるようなこと)を指示したら、問題解決で教祖様が必要なくなっちゃうから、教祖様は”安定した信仰”を保つために、信者の不幸を保たなきゃいけないの。終わりがないよね。

 

話は逸れに逸れたけど。

講演活動をしていて、講演後に「憧れてます!!」って人が駆け寄ってきた時、自分が誰かの教祖になってしまうかもってマジでゾッとした。絶対なりたくない。

違うぞ。私はあなたを救いません。聴いて救われたならそりゃよかったけど、それ以上は何もしませんできません。

 

考え続けるのは疲れる。しんどいさ。そりゃ「これしたら全部解決すっから!」って言われたら縋りたくもなるけどさ、全部解決とかあるわけねぇから。

誰かに自分の選択を委ねるな。自分の事は自分で決めてくれ。

 

私は私。誰の何でもありません。