イベントやるよ~のもうちょっと詳細。

3月19~21日(土日祝)の「ゆるしか図書館拡大バージョン」の説明をやっとこさ書きまーす。

 

■そもそも「ゆるしか」とは?

田中の屋号です!

大学の時は「虹色らくだ」卒業後ちょっと「FeelGood」(現在は解散)、いま「ゆるしか」。LGBT、多様な性についての講演活動をしています。

FeelGoodが電撃解散した時に、「鳥取県に団体が無くなった」という事に危機感があって、ちょうど周りから「○○の田中さん、みたいなの無いの?」とも言われていたこともあって、屋号をつくりました。

ゆるりと、しっかり、確実に、手の届く範囲でできるところから活動中です。講演:発信:出店=6:2:2

 

■そして「ゆるしか図書館」とは?

田中の蔵書による移動図書館です。

ある学校で講演をしたときに、「図書室に特設コーナーを作るので本を貸していただけないか?」という話になって、やったやったー!と持っていった本のほぼ全部が”アウト”判定を食らった。「なんかちょっと早いかも?」「うーん、これは…」みたいな感じ。んん、そりゃしゃあない。じゃ私が図書館やるしかない。が、はじまり。

今は喫茶ミラクルの「ミラクル朝市」に月に1回出店中。

LGBT性教育、発達関連、エッセイ、政治、思想っぽい本、絵本もあったり。雑多。

 

■そんなゆるしか図書館の拡大バージョンとは?

数年間ずっと(やりてぇな…)と温めていた企画たちを、ニート期間で元気になったからやるぞ!となった、なんでもアリの催し事。企画者もなんでもありなら参加者もなんでもアリよ。

以下詳細。

 

◎3日間ずっとやってること

・ゆるしか図書館。本読んだり、ぼーっとしたり、話したり、お菓子食べたり、温かいもの飲んだり、ボドゲしたり、スマホいじったり、自由。

・13:30~ミニ講演。いつもやってる講演をちょっと短縮してお届け。おしゃべりしながら聞いてヨシ、アフタートークも需要があればしまーす。(希望者がいれば配信できます)

・15:00~活動報告。「虹らく」時代から今までの、田中の活動の振り替えり。今後どうしたいかとか、どうなっていくのかなぁとか、その場の人と考えたりもしたい。(希望者がいれば配信できます)

 

・ドリンクバー(スティック/ティーバッグ/紙パック)…1日200円

・お菓子(家から作って持っていきます)…3つで150円

・ご自由にお持ち帰りくださいコーナー。折り紙から茶封筒から突っ張り棒、S字フック、スポンジまで。捨てるでもないし使うでもないものを持っていくのでお土産にどうぞ!のコーナー。

 

20日(日)の催し

・11:00~youtubeの動画を観るの会

youtubeに色々いい動画が挙がってるので、流してみて「へ~」とか「これはこう思う」とか色々話すような感じになったらいいのかな。

やったことないからあんまりどういう雰囲気になるのかはわからない。

 

◎21日(祝)の催し

・11:00~LGBT成人式

LGBT成人式とは?」は下記リンクから。

LGBT成人式 | 認定NPO法人 ReBit (rebitlgbt.org)

 

・お菓子に「紅白の何か」を作ります(未定)。

・簡易更衣室を作ります。着たい服、性自認に合った服を着てもええんやでの空間です。

・「成人の辞」…「こんな自分になりたい」とか、「こんな社会になったらいいのにな」とか、「自分はこう思っています」とか、なんでも、話してみたい人が話す時間。決意表明でも、カミングアウトでも、なんでも。

★成人のみなさんを募集中でーす。別日撮りの動画を流すことも出来るし、リモートで繋ぐのもできるし、文章を書いてもらって、田中が代読するのもできます。時間制限特に無し。30秒からでも。お気軽に!

 

ちなみで田中のLGBT成人式の記事も貼っておきます。

成人式とLGBT成人式の話|田中 或|note

 

 

以上!

ざっとこんな感じです。

こんなご時世に~~だし、思った以上に何のイベントかわからんし、得体が知れないけど、ま、来てみてください。

 

コロナ対策しなきゃ!!って思ってたけど、現状、そんなに人が来そうな感じも無いので、「来たらガッツリ対策できるように準備」はしておいて、そうでもなかったら少人数で集まる空間を享受しましょ。

 

感染対策のために家から出ないぞって人からも”日常”が戻ってくるし、感染対策をしながら家から出るぞって人からも、”日常”が戻ってくると思っています。

”日常”とか言いながらもう2年も3年も前のことになっていて、もはやマスクし黙食して自粛して…の方が日常っぽくなってきちゃってるけど…はやくおわらないかなぁ。

祈りつつ!イベントやります。

心の余裕があれば杖なしでも歩けそう。転んでも明日も休みだし。

3月の3連休にイベントをやることにしました~、ぱちぱち。

ここ3ヶ月「ゆるしか図書館」の出店でお世話になっている、喫茶ミラクルさんにて。ショータローさんの有難い計らいに感謝!

(ショータローさん、店主?家主?マスター?オーナー?どれもしっくりこん…と思ってたら、インスタ見たら「バイトリーダー」って書いてあった。笑)

 

着々と準備が進んでおります。と言っても、これと言って大掛かりなことはなくて、空いた時間に1人でも進められる程度のことなので、イイネ。

 

でもこれ、ニートしてないと「やろう!」って踏み切れなかったかもなぁ、やっぱり。

ひとつ前の記事でも、ニートだから出来るクオリティがあるよなみたいな話書いたけど、本当にそれだなぁ。

 

以前の私は、「転ばぬ先の杖がありすぎて前に進めない」って自分でも言ってた通り、アレコレと”万が一”に備えたくて仕方なかった。そんで(万が一のことがあったらこわいし…)って上手いこと言い訳して回避してたな。

やっぱり5労:2休で、疲れていて、2休は休みたくて、つまり余裕がなかったんだな。

貴重な休みに気を揉みたくない。傷付きたくない。もはや起き上がれない…みたいな。

 

イベントやって、ちょっと困った人来たらどうしよーとか、初対面で人見知りなのにどうしよーとか、イザコザが起きたら?不具合が起きたら?って、まぁ、動けなかった。

 

今は、「なんでもええやん」「なんでもなるやん」って感じ。これが思考停止ではないことを祈る。笑

でもなんか、傷付く余白すら勿体ないと感じてた時より、気楽で健やかな感じがしていて、(ええやん…!)って思う。体感。

 

講演アンケートの手書きフィードバック、ミラクル朝市の出店、イベント、軽率な外出、ブログ更新…ニート期間にエイヤ~と始められたことが、これから社会復帰しても続けられたらいいなぁ。

「見えない貧困」層から脱出する日は来るんだろうか。

バイト先の魔女(公認あだ名、70歳くらいのおばあちゃん)に、「あんたいつまでフラフラしてんの、仕事探しなさい!」と、半分冗談、半分ガチトーンで言われた。

「結婚しないの?同棲してるの?」「大学卒業して何年経った?正社員で何年働いた?」と、んもう、重い重い質問を連続でぶっ放され、笑うやら怒るやら呆れるやら疲れるやら。「ハハ、」としか言えなかった。

 

言いたいことは色々あるけど、まぁ、正論ちゃあ正論だな、事実だ、魔女よ。

フラフラしているさ。大学も卒業してもう4年になる。同じ仕事に2年以上就けてないし、適応障害と精神病でフリーターだ。まったくどうしようもない。あまりのどうしようもなさに泣けてくる。

 

でも、社会の役に立っていないわけではないし、まったく働いていないわけではない。し、社会の役に立っていなかろうが働いてなかろうが、人間は生きてていいのだ。

いいもんね、私は魔女にはできないお仕事ちゃんとやってるもんね、と、反論してみたくもなる。不毛なんだけど。

 

 

今日、17日の講演資料と講演後に配布するお便りが完成した。先方からも「いい感じ」判定がいただけた。

もし今正社員で週5非在宅の仕事をしていたら、こんなに手の込んだ資料は作れなかったと思う。時間も気力も足りなかったと思う。

でもこんなにやりがいがあって楽しくて誰かの役に立つ仕事なのに、これだけでは到底生きてはいけないのだな。悲しい。

 

 

私は今間違いなく「見えない貧困」の中にいる。というか、ほとんどの人がそうだと思う。

毎日着ている服は同じではない、汚くもない、3食食べてるしスマホもゲームも持ってる。

けど、本は高級品。車は持ってるけど、ドライブレコーダーはつけられない。スマホももう新品には手が出ない。

目に見えて「あ、この人貧困だな」なんて思われないけど、確実に貧しい。

今洗濯機が壊れても、しばらく洗濯物は溜めて溜めてコインランドリーに行くんだと思う。買いなおせるほどのお金がないから。貧しい…。

 

(注:同居してる恋人とは上手くいってる!費用を極力折半にしたくて、恋人の助け舟にも意地で「今は大丈夫!」とか言っちゃう私が悪いだけで、家計はだいたいいい感じに回ってる。というのは言っておきたかった!!)

 

 

「見えない貧困」は、周りの人や子ども達も同じこと。

一見他の子と変わらなくても、部活道具が買えなくて好きな部活に入れなかったり、塾に行けなかったり、家族旅行やバーベキューみたいな”非日常”の体験が剥奪されていたりする。マイ道具が必要な部活も、学習塾も、参考書も、贅沢品になっている。切ない。


定期を買うまとまったお金がなくて、トータルでは明らかに高いけど1回1回切符を買うしかないって人も居るらしい。電車に乗れないほど貧しくはないけど、でも絶対貧困だよね。こういう人たちがあふれているらしい。

 

 

最近インスタやyoutubeの広告やも、「ダイソーのこれがよかった」とか投資だ消費者金融の過払いだとかそんなんばっかり。お昼のテレビ番組も、昔は白金だ代官山だ御洒落スイーツだモテブランドファッションだとか言ってたのに、最近は「節約時短かさましレシピ」「プチプラ高見えコーデ」とかやってるじゃん。貧しい…。

 

フラフラしてたい。でも貧困にはかなわない。

魔女が言うように、「ちゃんと」働かなきゃかなぁ。めそめそ。 

同性婚訴訟の件で思ったこと、考えたこと

最近コードギアス(アニメ)を見直していて、朱雀キュンの強情さがもうたまんないです。

歪んでいる政府に対して、政府組織に属して順当に改革していきたい朱雀キュンと、そんなこたぁ無理と判断して「正義の味方」として外部からの組織破壊・再建を狙うルル…どちらも正しいし険しい道のりだ。2人とも推すよ…。(ちな最推しはロイドさんです)

 

 

それはそうと、昨日同性婚訴訟の最新ニュースを見てがっくし。またか。なにがそんなにいけないんだ??

「同性カップルと異性カップルは同等と見られていない」国が新たに主張【同性婚訴訟】 | ハフポスト (huffingtonpost.jp)

 

「結婚は子どもを産み育てるための制度だから」「生物学的に生殖が出来る男女、が大事だから」って、本当に何なんだ。ツッコミどころが多くて悲しい。

 

私は性指向がフルイドorクエスチョンで、完ビ(100%レズビアン)ではない。今たまたま戸籍男性とお付き合いをしていて、だから結婚が出来る…っていうのも、(できない人も居るのに?)と思うと居心地が悪い。


私らよりも何年も長く付き合っていたり、人生の終わり方を考えているような年代だったり、”普通の”カップルよりもよっぽど真剣にパートナーシップについて話し合っている人も居るだろうに。彼らは法律に守ってもらえなくて、私はたまたま守ってもらえる。


そんなことを考えると、私は何をどうしたら「結婚しました♡」なんて、婚姻届と指輪の写真なんてSNSにアップできようか。

(してる人の否定ではない!本来結婚てのは全面的におめでたいことだ。おめでとう。でも喜べない心もあるんだ私の場合は、って話。不快にさせてたら申し訳ない)

 

 

そして、性虐待被害や毒家族育ち、最近の虐待ニュースの多さ、社会のクソさ(言葉汚くてごめんやで)のせいで、すっかり子どもを産みたいなんて思えない私。

「子どもを産むための結婚制度だ」って言われたら、同性愛者、性的マイノリティだけじゃないよ、他人事じゃないよ。

身体的・精神的に子どもを望めない人、高齢の人も巻き込まれてるよ。私も巻き込まれてる。

 

私は自分で子どもを産む、新しい命を迎える以前に、すでに生まれている命をどうにかしたいと思ってる。

今でさえこんな生きづらい社会、将来にも問題山積みの世界に、人ひとり生み出すなんて無理だ。今生きてて苦しいもんなぁ。同じような思いはさせたくない。

 

学童でも思う。やっぱりいろんな家庭があって、兄弟がいてその子がいるんだけど、(愛されて欲しい!)(大事だよって言ってあげて欲しい!)って子いるもんな。

もちろん言う。「ケガしないか心配だで」とか「大事だで~」とか。


もう生まれちまったんだもの、私もあの子たちもみんな。出来るだけ大事にされた体験を積んで、それを盾として生き抜いてほしい。丸腰じゃ耐えれんて。

 

施設にいる子ども、虐待されている子ども、洗脳されている子ども、抑圧されている子ども…それが子どもの年齢でも、大人の年齢でも、そういう人たちを放ってはおけない。


もし何かの拍子に一軒家を借りれることになったら、養育里親とかファミリーホームみたいなことをしたい。生まれちまった人みんなに、安心できる場所が1つでもあればなぁと思う。

「安心できる場所」に、異性カップルじゃなきゃいけない理由なんて無かろうに。

 

同性婚訴訟、やっぱり他人事じゃないですて。同性愛者の話じゃない。

間接的にも直接的にも、巻き込まれる人がたくさん出てくると思う。

 

法律の話、結婚制度の話、子どもの話、…等々。

 

講演先の学校では、「同性婚のこととか性的マイノリティのこと、学活とかで調べ学習してみるとおもしろいかもよ~」とアナウンスしてるけど、大人もぜひ知ってくださいな。腹立つよ、刺さるよ、考えるよ。もちろんそうならなくてもいいけどさ。

 

なんだかなぁ。色々考えちゃいましたわ。

どうおもいますか…?

田中に憧れてる人へ 教え導きませんm(__)m

ちょっと冷たいかもしれないけど、「どうしたらいいですか?」系の質問には、あんまりその人が望んだ答えを返さないと思う。

いや知らんけど。好きにしたらええやん。私が決めてどうなるん。人の責任持ちたくないし。ってなっちゃう。

逆に私が何か決める時も、あくまで参考程度に「どうしような」「○○氏だったらどうする?」とか聞くことはあっても、それはそれ。あくまで一助であって、だから何とすることもない。

 

過去のブログとかnoteかどっかにも書いた気がするけど、私は基本的に何かに我を失うほどお熱になることはなくて、”盲信”したり”絶対的信頼”を置くことがほとんどない。

 

講演活動をしていて、自分の考え方や生き様を話していく中で、多少は「誰かのロールモデルになれば」「こんなやつもいるって思ってもらえたら」と思ってはいるけど、なんかこう、すんごい熱量で”羨望の眼差し”?”憧憬の念”?を向けられてしまうと、(Oh…私とあなたは違う人間…なので…落ち着け…??)ってなってしまう。笑

誰かに何らかの感情を持たれること自体がそんなに好きじゃないっていうのもあるし、私は誰かの教祖になりたいわけではないのだよ…。

 

エセスピ・エセ医学の教祖ウォッチングをして思うのは、「教祖様に溺れたら解脱に苦労するぞ」です。

 

まずまず、教祖にハマる人の多くは、自分に自信がなくて、何かしらネガティブで、それを何かのせいにしたい人…という感じがする。不幸な自分、それは○○のせいだ!って思って、思考停止したい。逃れたい。そういう感じの人。

 

そういう人が「自分らしく生きている人」に遭遇して、憧れたり羨ましく思ったりする。そこまではいいんだけど、憧れの人が教祖様だった場合が悲惨なことになる。

上手いこと商材買わされたり、お金巻き上げられたり、根本解決に向かわないよくわからん儀式みたいなのさせられたり。

教祖様は「不幸の原因がは外にある」「自分はそのままでいい」みたいな、思考停止できて楽なことばっかり言ってくるから、居心地がいいんだよね。

結果、解脱させようとする家族や大事な人を切っていって孤立していく。金銭感覚がおかしくなって破産したりもする。

 

「これやってれば大丈夫」「これでなんとかなる」とか言って、根拠薄弱なことをさせたりとかね。

これが特に厄介で、そもそも学術的に根拠が示されていないことを指示してやらせておいて、効果がないときは「それはあなたの信仰心が足りないからだ」とか、これまた学術的でない理由をつける。そんなこと言われたら信仰を強化するしかないじゃんね。タチが悪い。

 

親族じゃないけど身近にも、病気が治るって言われてアロマ風呂に入り続けてる人居るけど、病院行ってほしい。パワーストーンじゃ治らんて。水素でも治らんて。

でもここで本当に治っちゃうようなこと(→幸せになるようなこと)を指示したら、問題解決で教祖様が必要なくなっちゃうから、教祖様は”安定した信仰”を保つために、信者の不幸を保たなきゃいけないの。終わりがないよね。

 

話は逸れに逸れたけど。

講演活動をしていて、講演後に「憧れてます!!」って人が駆け寄ってきた時、自分が誰かの教祖になってしまうかもってマジでゾッとした。絶対なりたくない。

違うぞ。私はあなたを救いません。聴いて救われたならそりゃよかったけど、それ以上は何もしませんできません。

 

考え続けるのは疲れる。しんどいさ。そりゃ「これしたら全部解決すっから!」って言われたら縋りたくもなるけどさ、全部解決とかあるわけねぇから。

誰かに自分の選択を委ねるな。自分の事は自分で決めてくれ。

 

私は私。誰の何でもありません。

活動報告。リモート講演楽しかった!

2月3日、高校2年生へのリモート講演おわりました!イヤーいい機会だった。無事です。

各教室をリモートで繋いで、ちょっとは教室内の雰囲気もわかる感じでした。全員が集結できる体育館とか大講義室ってこの時期寒いし、床より机椅子の方が個のスペースもあって安心して聴けそうよね。なんかそんな感じがしました。

 

反応が見えづらかったり、私とパワポの2窓で文字見えづらかったりもするんかなとか色々思うところもあったけど、その辺は先生方もOKだったって言ってくださったし、あとは生徒さんからのお声を待ちます。

 

なんかね、いいね。リモート。小中高と学校に来れない同級生が何人かいたけど、その子らもリモートがあれば授業は聞けたのになぁと思う。私もそうだ。学校を休んでいた時期にやってた「3ケタのかけ算のひっ算」は、今もあやふやよ。習ってないから勘。電卓。

 

それこそコロナで”大多数が”困ったから普及したリモートであって、学校にいけない少数派がチラホラいたところで、「じゃあリモートとか配信もしてみっか!」とはならなかったんだよね、多分。「それだと不登校児童の増加につながる!!」とか言ったりしてさ…笑


ほんと、リモートが普及してよかったよ。みんなに学習の権利があるようになってよかった。今後も学校で講演するときは、「リモート繋いでもらっていいですよ!」と言おうと思う。

なんならさ、常駐してなきゃいけない保健の先生とか図書館司書さんとか、カウンセラーの先生も、各部屋で聞けるからめっちゃいいじゃんね。職員室でちょっと片方で仕事しながら流し見とか。便利にいいように使ってほしいものだ。まぁまず教職員はゆっくりしてほしいけど…!

 

リモート講演、なんとかなりました。1つレベルアップだな…!

 

お次は2月17日予定です。ぼちぼちやるぞ~

 

先生方へ 私の講演中は気を抜いててくださいね。

2時間後には現場入りしないといけないのに、何か別のことしたくなっちゃう。(笑)

これが現実逃避か…。ということで、せめてせめて、ブログでも書いてみる。関係なくはない!(笑)

 

今回、学校には行くけど別室でリモート講演という、なんかおもしろい形での実施になって、それでも中止にならなくて嬉しい。

年度末が見えてきて、しかもコロナでいつ授業が滞るかわからない中なので、本当に感謝しないとね。ありがたい。

 

話は変わるけど、私は今年で27歳になる。当然ながら同じ年や、もはや後輩に、学校で教員として働いている人がたくさんいるんだよね。授業をしてくれたり、丁寧に漢字ノートの宿題やったらキラシール貼ってくれたり、卒業式に泣ける黒板書いてくれたりする、あの「先生」が、同性代にいるんだもんな。エモいな。

いまは、コロナ下での教育現場の悲鳴とか、教員不足とか職場環境が悪いとの声もたくさんあるよね。私は「教師のバトン」ってタグ運動をよく見て、怒ったり悲しくなったりしています。

 

学童をしていても、「先生」じゃない「指導員」でもないただのアルバイトでさえ、なんか色々な考え事が多いし、配慮も多いし、怖がらないといけないことも多い。こっからさらに授業が、消毒が、書類が、部活が…ってなるかと思うと、もう無理だよぉ。みんなに月15万くらい手当つけてよって感じ。せめてサビ残無しにしよ。

こんなの、現場じゃあもう動かせないよ。

この状況を動かせる人は誰なのか、しっかり選んでいきたいと思う。

 

私はこれまで講演会をするときは、「生徒対象の講演だけど、先生方がいちばん聞けください!!!!」って思ってたの。寝てる先生とか、「聞いてない生徒はいないか探し」に集中している先生もいて、後者に関してはしゃあないとしても、講演内容は生徒だけが知っていればいい話じゃないからね。生徒対象とはしていても、教員も聞けば教職員研修にもなるんだぞー!って思ってた。

 

が!「教師のバトン」とか、学童の様子とか、最近の情勢を見ていると、「せっかく2時限分の時間を頂いたのだから、んもう、その時間は子ども達預かるわね!!」って気持ちになってきた。

私が非常勤講師やるから、その間は休んだり片方で仕事してたり、うつらうつらしてていいよ…。ご自愛してほしい…!

 

なんかなー。大変そうだからと言って「よっしゃ教員免許取って現場で助けるぞ!!」とは到底思えないけど、守る側にも守られる権利があるぜ、と思ったよ。