ミラクル朝市に出店しました&虹らく交流会に出てきました
月末。つまりミラクル朝市。
3ヶ月連続で出店できました!わーい!
11月は図書のみ、12月は図書+お菓子と来て、今回は図書+お菓子のそれぞれにテーマを設けてみました。
先取りバレンタイン回で、図書テーマ「すき」「こい」「あい」、お菓子テーマ「バレンタインの小学校で出回るお菓子」です。
写真ドン
一応は「LGBT関連の図書に触れてもらおう!」がメインテーマの出店なので、そういう本もありつつ、リベラルめな本もありつつ。
好きんちゅが載っている「東京グラフィティ」、推し小説「美丘」「東京タワー(江國香織さん)」、大人向けの「変愛小説集」、絵本も置きました。
タイトル見てるだけでも楽しいので、手に取ってもらえなくてもOK!いいな~好きだなぁこの出店。この場所のおかげ。喫茶ミラクルはこの先何があっても俺が守りたい。
お菓子は無事に完売しました!ありがてぇ。
あと傍らで里親募集してたドライヤーも無事に譲渡決定しました!ありがてぇ。
今回の売上で来月のお菓子の材料が買えます。回る経済。
ミラクル朝市を終えて虹らくの交流会へ。これも行ってよかった~。
色々話せてたのしかったし、安心したし、「ああいう場の空気」に久々に触れて、あ~こんなだったこんなだった!って思った。
あと(老害になるんじゃなかろか)ってめちゃくちゃに心配してたけどそんなこともなかった。笑 いや実際他の人がどう思ったかはわからんかったけど、なんか勝手に安心しました。よかったよかった。
よく「いえいえ私なんぞが他者を巻き込んで何か行動を起こすなどと…」って思っちゃうけど、実績を見返してみると十分に「誰かを巻き込むことへの説得力」はあるんだよな。講演実績もあるし、イベント実績もあるし、今となっては出店実績すらある。
ちったぁ能動的に動いてみるのもアリなのかもしれない。そしてもしかしたらそれが後世につながるのかもしれない。
…などと、ちょっと先輩ぶりたくなってしまったのでした。
でも!交流会きっかけでまたおもろいことも始まりそうな予感。嬉しや嬉しや。
交流会の直後にハローワークにいって、しっかり現実に向き合うハメとなりちょっと胃も痛いですが総じていい日になりました!
あそんでくれたすべてのみなさまに感謝感謝。
いいゆめみれそうよ。
「恋せぬふたり」2話、主人公の実家が怖すぎて泣きながら激怒しちゃったもんな。
「おまえは橋の下で拾ったんだよ」と言われた経験は忘れられない。
私は両親の実子ではなく、望まれて生まれた子供でもなく、しかも捨てられていて、それをお情けで拾っていただいて、育てていただいている。想像しただけで死にたかった。齢まだ一桁で、死にたかった。こうかはバツグンだ。
マジで、いくらあるあるジョークだったとしても、サムい。おもんないからやめてくれ。もし今目の前でこんなジョークが飛び出したら、私は誰の親であろうとその口を縫付ける。そのくらい嫌いだ。
あと「ウチの子は何もできなくて」とか「情けない子で」とか言う親も。それ「謙遜」じゃないから。「自分下げ」はまぁいいけど、子どもは子どもであって自分じゃないし、「身内下げ」だとしてもそれは謙遜ではない。
「何もできない子に育てた自分」と言いたいならそう言ってよ。子どもを巻き込むなー!
昨日「恋せぬふたり」というドラマの全8回放送第2話を見て、「家族」について色々考えて、文字にしたくなった。
第2話では、「血の繋がった家族」と「自分で作った家族」の対比、「フツ―」の捉え方が痛いくらいに描かれていた。見ていてしんどかった…。
私は血族と距離を置き始めてもう5年以上経っていて、しかも題材の「アセクシュアル・アロマンティック」は当事者サイドでもあるので、今回「普通・一般的」として描かれていたいろんなことが痛く刺さった。
血族はあくまで他人。「わかるはずだ」「同じはずだ」という根拠のない思い込みや信頼をもって、「言わなくてもわかっている。当然である」としたり、自分のことや自分が信じるもののことを理解してもらおうなど、無理がある。と、大きくなるにつれて確信していった。
そして、「話し合えばわかってもらえる、わかりあえる」というのも、どうやら無理がありそうだと思った。小さいころから何度も何度も、そう思わせる出来事があった。
相手の信じるもの、信じたいものを壊さずに、自分が自分として生きるために、私は血族と距離を置くことにした。ちょっと切ねぇけどな。
そして、自分の家族は自分で選んでいくと決めた。共感できる人や、話し合える人や、居心地がいい人、一緒にご飯を食べたい人。家族(血族)より「家族だな」と思える。
血族は大事にしたいけど、その前に自分は自分。自分の事を100%理解してもらわなくても血族なのは変わらないし、逆に血族じゃなくたって安心できる、理解してくれる人はいるのだ。
「家族」という言葉の意味とか、その言葉に求めるものとか、実際のところはとか、ひとつひとつを分解して、理解を深めていくのは面白い。
それから話は変わるけど、「恋せぬふたり」の作中にも、冒頭の「橋の下で」発言時にもあったのだけれど、世の中の大人って、セックスについては語らない人が多いよね。「子供作れとは言うのにセックスは言っちゃいけないの?」旨の主人公のセリフがあったけど、頷きすぎて首痛めそうだったわ。
性教育をマトモに受けていない人がほとんどだから、「教えられない」というのが実際のところかもしれないけどさ。作り方も言えないくせに作れ作れって言うの、ウケるよね。
「男の人が持っている卵と女の人が持っている卵がくっつくと赤ちゃんの卵になるんだよ。」「赤ちゃんの卵はお母さんのおなかの中で大きくなって赤ちゃんになるよ。」「男の人の卵は、空気に触れて乾くと死んでしまうから、陰茎でお母さんの体の中に届けるんだよ。」これでいいじゃんね。誰にでもわかるじゃないか。
自分がどこから来たのか、どうやって出来たのか、どんな思いで出来たのか、子どもはそれが知りたいのだ。いや全部の子どもがどうなのかはわからんが。
それをマトモに説明することもしないで、「愛の結晶だ」とか「橋の下で拾った」とか、アホか。その言葉が愛するわが子への呪いになるなんて哀れだ。
当時は愛の結晶だったものが鎹となったり、愛が壊れれば子どもの生存意義はどうなる?アホな回避は辞めて、「避妊しませんでした」「当時子どもが欲しかった」と言いなさいよ。世の親。
ちなみに私は「次女が欲しいと言ったから」出来た子です。男児がよかったらしい。ドンマイです。
いま、「自分らしさ」と「なにか(金銭面とか、食事面とか、人間関係に疲れてとか)」を天秤にかけて、後者を選んで血族と一緒にいる人たちって多いと思うんだな。あるいは、カミングアウトしたり説明を重ねたりして、「血族」を「理解者」にしたいと頑張る人たち。
そのことがいい/わるいの話ではなくて、「血族でも解りあえない時がある」「他人でも家族になれる」ということは留め置いていてもらいたい。
もちろん、解りあえるかはやってみないとわからないし、他人の家族が見つかるかもやってみないとわからない。どちらも労力は必要だけど、今の方法で「これでダメならもうだめだ」と思う必要は無い、まだ道はあるよという意味。
なんとでもなるよ。道は1つじゃないよ。
明確な理由はわからんが、生まれてきちまったんだもの。なるだけ快適に生きようぜ。
「自分が助かりたい」が主軸の人助けって、人のためじゃなくないか。
私の中学校時代の夢はスクールカウンセラーでした(あと獣医…)。
小学生から保健室登校&早退多め、中学生になっても相変わらずで、特にカウンセリングの日に命を掛けんばかりの勢いでした。
「しんどい気持ちが分かるから、しんどい人に寄り添って助けることができる」というのが主張の根っこで、カウンセラーやらアニマルセラピストやらいろんなものに興味があった。
が、よくよく考えたら(自分自身がグラッグラなのに人助けとかできるわけないやん。自立してからにしよ)と思い至り、心理系の勉強はたしなむ程度としました。今にして思うと懸命な判断だった。
機能不全家族育ち(アダルトチルドレン)でもあるので、他者からの目や周囲の変化に敏感で、自己肯定感も低い。「評価されたい」「認められたい」の気持ちが強いし、そのために自分の身を削ることも厭わない。痛覚が鈍いのだ。
そうなると、「他者を助ける(そのために心身を削る)→人助けが評価される→このことで満足感を得る→自己肯定感があがる→また人を助けたくなる→…」のループが生まれてしまう。
その結果残るのが「助かる他者」「評価」「自己肯定感」「満足感」ここまではいい、あとは「削れた心身」。これに至っては大問題。
志はいいことだとしても、ループが「他者を巻き込んだ自己肯定感獲得行動」になってしまうと、もはや自傷行為だ。結局疲弊する。精神薬飲みながらカウンセリング、なんてちぐはぐなことになりかねない。
「それでもいい」と思うこともあるけど、良いわけあるか。自傷するな。他人を使うな。
今でさえ薬飲みながら自身のSOGIESCなんて超プライベート情報を語り歩いて回って活動している。十分ちぐはぐだ。「誰かを救いたい」と思いながら活動をするのはまた来世ってことにして、「誰か助かるかもしれんならいいか」という程度で頑張っています。
ちょっと前までは、マイノリティはもちろん、いじめ加害者とか犯罪加害者などに対しても(育った環境はどうだったのかな、いろいろしんどいことがあったんだろうな、つらかったろうな)とか思いを馳せては心を痛め、民生委員になるか?いのちの電話支援員になるか?募金?ほかになにかできることは?なんて思っていたけれど、そういうことに割く力は持ち合わせていない、身の丈に合ってない、と自覚を持つことができた。
勉強を続けていくことと、考え続けることと、金銭的余裕があれば物品を買ったり寄付をしたり、そういうことくらいが「身の丈」に合っているはずだ。
誰がどんな風に生きていて、どんな悩みを持っているかはわからない。多様だ。人それぞれだ。そのすべてを網羅して対処しておく、という意味の「みんなが居心地のいい社会」なんて、私には作れんよ。前は本気で作ろうとしてたけど…
だから、「知らんことも多いけど、一緒に考えようと努力する。これは保証するぜ!」というスタンスで、できることからやっていく。
やみくもに自分を削っていくのは、いくらいいことをしていたとしても自傷行為だ。
自分にさほど価値があるとは思わんが、それも認知の歪みを矯正すれば事実とは異なるかもしれない。だから身を削ってまで価値を得ようとする必要は無い。自分大事に、できるところから。です。
2022年の活動予定
1月もう半分終わりました?早すぎない??嘘やん。
講演・出店がいくつか入っているのでお知らせします~
【講演】
1月21日(金) 西部の中学校の生徒さん
2月3日(木) 中部の高校の生徒さん
2月11日(金祝) 東部の中学校のPTAさん
2月17日(木) 中部の小学校の生徒さん
調整中 西部の小学校の生徒さん
【出店・参加】
1月29日(土) ミラクル朝市に出店…図書館テーマ「れんあい、すき、こくはく」+お菓子テーマ「小学校のバレンタインに出回るお菓子」
1月29日(土) 虹色らくだ交流会に参加
です!が、どの予定もOミクロンさんのせいで危うい。学校に至ってはリモートでやれるならまだマシで、休校になる可能性も十二分にあるから心配。
…と、書いたそばから2月11日は中止です。ンン~!
とはいえ、私にはKロナはとめられません。しっかり対策して、出来る講演をしっかりやろうと思います。
コロナが落ち着いて来たら、なんぞ動き始めたい。特にアイデアないけど。出不精なんよなぁ。身軽に動けないのはアレだけど、「申し訳ない」とか思わずにひとまず進みます。
2月、3月あたりまではほぼ確で、カフェと学童保育のアルバイトをしていると思います。その合間に単発お手伝いとなんでも屋と物書き。思ったよりなんでもやるなぁ。
いろいろ確定出来ないことだらけだが、ゆっくりやるぞ~
爪切るのって、夜お風呂あがりが最強やん。知らんけど。
大晦日ですね。明日から正月。
SNSを見ていると「正しい年末年始の過ごし方は?年越しそばは何時に食べる?」「三が日にしてはいけないことは?」「おせち料理の意味とは?」とか、そんなコラム多めになってきました。
曰く、正月三が日は火も刃も使えないし掃除もダメ、ただ休め。あと肉は食うな。とかナントカ書いてありましたが、田中は元旦から揚げ物作り置きパーティーをやるつもりですよ。えぇ。
私は宗教的な何かとか伝統?みたいなことに傾倒するということはなかろうと思う。
特に、「これをしないとこういう悪いことが起きますよ」みたいな、脅し的な教訓でもって信仰を強化しようとしているものは、なんかウケる。
別に年始早々掃除したって、神様を追い出したりしませんよ。
うちにはお米が5キロ分あるんだぞ!1粒に7人の神様がいるって、じいちゃんが言ってた。
大掃除しきれなかったたくさんの物たちにだって、神様が宿ってんだ!八百万の神だ!
そりゃあ年末年始もボーっとしたいし掃除なんて年がら年中したくない。だからめんどくさければ「あー、年末年始は休めってコラムで読んだよ。」とか言って寝てるけど、信じなくてもたぶんダイジョブ。何も起こりませんて。
占いや風水、アロマや夢占い、パワーストーンとか言霊も、広く浅く知っているけど、信じ込むものじゃないね。いいことだけ覚えておいて、悪いことは忘れるし、それ以外の視点(科学的視点とか)もいれてみると、だいたいは根拠なんてないのだ。
そうして取捨選択していかないと、「自分で選んだ自分の人生」が揺らぐ気がする。今日のラッキーカラーで選んだお洋服も、風水的にいいから買った観葉植物も、夢占いのお告げで連絡を取ってみることにした友達も、全部自分で選んでないと思うから。
キリスト教を信じる同性愛者は、教義と自己の間で苦しんでいたりする。
過激派ヴィーガンは、栄養不足で心身に不調をきたすこともある。
カルト宗教に依存して経済的に立ち行かない人もいる。
反西洋医学を信じたがために、治せる病気が治らずいる人もいる。
こういう事柄には、対抗していきたい。
無宗教でも死なないからダイジョブ。こちとらキリストのこと考えるの年1。
アニマルライツやフードロスは課題。できるだけ配慮している農家さんから買おう。
周りの人や自分自身を見てみよう。そんなに傾倒しているのに幸せになれない教えって、ただの嘘やん。
労力もメンタルも要るけど、何ndオピニオンでもしていこう。口コミはどうだか確かめよう。
そういう風にして、結局は自分で決める。結果がどうであれ、自分で決めたのなら納得がいくし、もしダメでも次どうしようか考えられる。「○○べき」思考にもつながりにくくなる。と思う。
納得がいくものに傾倒するのはおおいにオッケー。信じるのがちょっと苦行になっているのだとしたら、2021年に置いていこうぜ。
ミラクル朝市に出店しました!
おそらく今年最後の活動が終了しました~
25日(土)、ミラクル朝市@喫茶ミラクルに「ゆるしか図書館」でプチ図書館&ドリンクバー、焼き菓子の販売をしました。
お菓子はパウンドケーキ(1個)とかクッキー(5,6個)を「3つで150円」、ドリンクバー(スティック、ティーバッグ約15種類)「のみほ150円」でやったけど、周りからは「安すぎる」と言われまくりました。笑
原価は下回らんように、ちょっと儲けは出しつつ、でも儲けたいわけではないから…!しかもこんな家でちょっと作ったみたいなやつだし?焼き菓子とかいつもはタダであげてるやつだし?と、悩み悩み、本当はフリーでもいいくらいなのにやっと決めた値段が「安すぎるて!!笑」と言われまくったら、もうちょっと自信もっていいのかしら??と思い始めました。笑
とはいえ、値段はこのままでいきまーす。笑
売れ残ってもOKな量を考えて作ればオーライです。おもろいのがイチバン。
ところでワタクシこう見えて(?)大学は経済・経営の専攻だったので、原価とか利益とかナントカ、マーケティング論だ何だってちょっとわかるつもりではいたけど、やっぱり実体験は強いな。
実際にやってみればあの頃勉強したことと繋がるし、(あの時もっと勉強しとけばよかったぜ!)とか思うよね。めちゃくちゃ勉強したくなるし。
自発的に勉強したくなることとか初めてでうろたえている、がんばります。
今回は2回目の出店だったのでフワフワしていましたが、来月もお邪魔します。
来月からはもうちょっとうまいことしたいので、「今月の推し本はコレだ~」とか、季節のお菓子とか、そういう企画っぽいことをしていこうと思います。
1月は先取りバレンタイン回として、本は「告白・カミングアウト」、お菓子は「小学生がバレンタインに頑張って作ったやつ」をお題にしたりしようかな。楽しそう。
ボドゲとかレトロゲームの出店とか、似顔絵とかライブペイントとかもやってみたいな。うん。楽しそう。
ミラクル朝市、出店者も募集しているので、気になる方はゼヒゼヒ!
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