LGBTQQIAPPO2Sって結局なんなん。(26歳活動家)

LGBT”という、セクマイの総称を示す言葉は、まだ進化し続けているらしい。

LGBTだと、LとGとBとTの4つだけみたいじゃない?」とか、「LGBTのどれにもあてはまってない」とか、「もっといろいろいるよ」とか、そんな声が挙がるたびに、”LGBTQ” ”LGBTQA” ”LGBTs” ”LGBT+” と、新語が出来て更新されていた。

最近では”LGBTQQIAPPO2S”とかにまでなっているらしい。長すぎる。

しかもこんだけ長くなっても、やっぱり私にしっくりくるカテゴリ名は入ってこない!(笑)

↓外部サイト

LGBTQIAとは?LGBTに続く、多様な性を総称する用語を解説

 

私は上記くらい(2018年とか?)で、「セクマイの総称を示す言葉の更新」をやめてしまった。

そもそもセクシュアリティはグラデーション、十人十色、って言うのなら、カテゴライズする必要なくないか?というのが私の考え方だった。

(もちろん、最初にXジェンダーとかLGBTという言葉を知ったときの安心感は絶対に忘れられないし、そういう意味で、「言葉」は大切だと思う。)

 

私自身はというと、LGBTとかLGBTQIAとか、いくら伸びてもしっくりくる言葉に出会えなかったし、デミロマとかリスロマとかグレーとか、いくつも新しい言葉が出てきて、そのたびにやっぱりしっくり来なくて、なんか焦るし疲れた。しかも結局「ジェンダーフルイドセクシュアルフルイドリレーションシップアナーキー(当時)です!」とか、うまいこと言葉になったとしても、長ったらしい上にだーれも意味なんて分からんのだ。笑

そして、新語はことごとく日本語訳の手間を掛けずに(かけられずに)そのままカタカナで入って来ちゃった。カタカナが多いと、聞き手は眠くなるものだ。

 

そういうわけで、私の講演スタイルは「SOGIESCというものがあってな…(説明)。ということで、みんなにそれぞれのSOGIESCがあり、セクシュアリティの種類はいくらでもある、こういう人もおればああいう人もおる。そんで、それらが全部、キモくないし変じゃない。あなたもわたしも、おかしくない。ホラ、十人十色っていうやんか。あれあれ。」という感じなった。

 

入門編的な講演はできるけど、カテゴリやSOGIESCひとつひとつのことや、時事的なこと、法的なこと、医療的なことには疎い、めちゃくちゃ疎いので、上級者に話すときはめちゃくちゃ胃が痛くなるんだろうな。笑

当事者に声を掛けて交流会するのに腰が重い理由はこういうところだと思う…。笑

勉強しなきゃだな。ぼちぼちやるね。

 

ちなみに、テキトーな良さげなサイトでセクシュアリティ診断やってみたら、

FtX 無性 無性寄りの女性装者 セクシュアリティエスチョニング 異性愛者 ロマンティシティ(?)クエスチョニング パンロマンティック リレーションシップクエスチョニング

と出ました。なんじゃそりゃ!なが!笑

 

↓なんか選択肢が多くてパッと見よかったサイト。本当はたぶんジョブレインボーのに登録したらよさそう。

セクシャリティ診断 : $ exec su -

 

カテゴリとか見つからんくても、案外なんとでもなるよ!

セク不定・定職なしマルチワーカー・精神疾患(疑)・発達グレーのわたしより。

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飲食バイト初なのでとりあえず練習用におぼん買った

 

汽水空港モリさんのパワーワード「スピらずにスピる」で書けた文章

汽水空港モリさんが「スピらずにスピる」とか言っててウオー↑↑となったので私もスピの話する!ずっとずっとスピの話したかったけど、言うて「タブー視」のジャンルだろうからなぁ…と思ってた。モリさんに感謝。わたしもモジモジしないをやってみる。

 

 

「好きなことがお金になればなぁ」とか「嫌なことはしないで生きていきたいな」とか、ほとんど常に考えている。億万長者になりたいし、できるだけたくさんの人に好かれていたいし、何より自分自身を可愛がりたい。

 

そうこう思いながら生活していると、自ずと日常に溢れる「スピの欠片」を「引き寄せ」られるようになってきた。自己啓発本しかり、ヨガやアロマから入るタイプのやつしかり、ていねいな暮らしとか無添加云々しかり、東洋医学や漢方の世界(非/反西洋医学)しかり。

 

もちろん、これらの全部がぜんぶ「スピ100%!」ってわけではない。ただゆるりと、「世間」や「生産性」や「経済の輪」や「人工物の輪」から離れていくと、そういう、「自然」めいたものや「感覚」めいたものに近付いていくような感じ。

(私はこれに「開放」とか「インナーチャイルド」とか「そのままで愛される」とか、それ自体はスピワードじゃなくても、ゆるくスピにつながるワードがいくつ添加されているかでスピ度を量っている。そしてスピはゆるやかに、エセ医学とかエセスピへも繋がっていくからそこは注意したいと思っている。)

 

私自身は、なんでも信じるし信じてない。

クリスマスの数日後には神社に行き、彼岸は忘れるけどハロウィンはやる、嫌なことがあれば玄関に塩を撒きながらアロマを焚き、今日の運勢を読むような人だ。いずれもめんどくさいときはしない。なにより効くのは食って湯に浸かって寝ることだと信じている。

 

プラセボで元気になれるのならオッケー、思って救われるのならオッケー。

「今日も何もできなかった」ってなるくらいなら、ヒーリング音楽を聴いて大地と繋がりながらヨガをしたとか、何か出来たならそれでいいと思う。他者からどう思われても。

 

 

で、実は、私が講演活動をやっているときも、ゆるりとスピめいたことを言ってるんじゃないかと思うことがある。いや、「世間や普通にとらわれなくてもいい。自分らしくいていいんだよ」というのは、スピ活動家の教義そのものだなぁと思う。

 

それで思ったのは、スピの教義は、幸福追求や自助・共助の極振りじゃないかということ。

今の世の中は「生産」や「経済」にこだわっていて、「自分を好きでいられるか」とか「自分らしく生きていけるか」を蔑ろにしているんだと思う。人権や福祉の分野が切り捨てられて、働けない・生産できない人はカフカの階段を下りていくしか行き場がない。

 

行政が頼れない、自分の持ち物だけで極力お金を必要とせずに楽園を造りたいとするならば。

やっぱりスピに寄っていくしかないような気がする。

自給自足して、病院にかからない/かかれないなら薬草でも飲んで基本的な体力や治癒力を上げておきたい。マルシェ開いて物々交換して、それでも満たされないときは何かに祈りを捧げるし、邪念や未練や欲求を宇宙に還すとか言って、腹式呼吸でもやるんだろう。

社会みたいな「デッカイ思い通りにならない存在」をどうにかしたいなら、視界の全部を思い通りになる存在で埋めて対抗するしかないんじゃないか、それならなんとかなるんじゃないか。

 

人生の100%を、自分自身が信じられることだけで満たそうとすると、私はこうなっていくと思う。スピに生きることは究極の自立、そして孤独だ。と思う。

それはやだ、と、私は思う。私は。

やっぱり根本は、税金納めてんだからちったぁ行政でナントカシロと思うし、いつまで昭和やってんだと思うし、悟り開いた身内だけじゃなくてもっと多くの人が自他共に大事にできるほうがいい。

スピの教義が、幸福追求権が、求められている救いが、救われたい人たちが、もっともっと世の中に取り込まれてもいいんじゃないかと思う。

 

スピに極振りしても、今の世の中みたいに効率や生産に極振りしても、うまいこといかないんだよ。多分。

 

いつも何かの対岸をエッサホイサ飛び回り疲労しているのが私だ。

 

 

2021年の活動報告

12月8日に講演納めしてきたので、今年の活動報告をば!

 

【講演】

8月18日 倉吉東高校 教職員研修

10月22日 青谷高校 全校生徒+教職員(約200人)

10月27日 鳥取中央育英高校 2年生+教職員(約120人)

11月17日 倉吉総合看護専門学校 1年生+教職員(約65人)

12月8日 倉吉北高校 全校生徒+教職員+PTA(約350人)

 

【講演以外】

・中学校の先生と授業展開をどうしたらいいかの話し合い(3回)

【新聞掲載等】

3月21日 日本海新聞 同性婚訴訟初の違憲判断 県内関係者「力強い一歩」

 

以上!

ざっとこんな感じです。

活動を始めたのが2015年、講演活動は31回やってきていますが、学校が多いですね。学校からのニーズはアツいだろうし、学校以外との繋がりがイマイチ薄いなという感じもするし…いろいろ思うところあるけどもうちょっと活動の機会も幅も広げていきたいところ!

企業さんとか行きたいなぁ~。イオン、スタバ、ドコモ、その他諸々、ダイバーシティとかSDGsとかアライとかを掲げている企業のみなさんに届け…(念)

(ちな私が過去に行ったことある企業は、三洋テクノさんのみ…!)

 

2022年の予定もすでにいくつか入っております。

1月に中学校1校、2月に高校1校、PTA1校、調整中が小学校1校。

当日の迷子予防のために、事前に1回は現地でミーティングをすることにしているので、ぼちぼち動きはじめています!

オミクロンさんが落ち着いてたら、来年から見学者さん募っていったりできるかなぁ。

またお声掛けしまーす。

 

来年もゆるりと頑張りまーす

 

ブログトップを多少いじりました

気が向いたのでちょっと仕様変更をしました。

 

☆サイドバーつけました

☆カテゴリー作りました

☆多分色とか変わりました(?)

 

Proのほう契約しないと出来ないと思ってたアレコレが実は8割くらいできるやつでした。ウケますね。

 

過去記事も一応カテゴリ分けしたり色々したので、前よりは「外向き」のブログになってきた感じがします。どうぞよしなに!

 

 

☆追記☆

PCから見たらオオ~ってくらい変わってるけど、スマホから見たらあんまり変わってなかった。

 

「助けて」を言える力を育む、は間違いではないけれども。

学生さんの春休みに合わせてオフ会の企画を始めようか…始めまいか…考え始めた田中です。

「やろう→停滞→できない」のループをなんとか打破したい。ここ2年くらいずっとずっとオフ会の話してるやん。いつやるの今でしょ。知らんけど。

 

とは言え、やっとこさミラクル朝市に繋がれて、パーラー株湯に繋がれて、よりん彩にアポが出来た。私の大事さんが言ってたけど、「ころがりはじめたら、なんとかなる」かもしれないな。

絶対、保証、確実、安心、、、なんてのは難しい、いつだって目の前にあることを1つずつ整え、片付け、こなしていく。たまに「1つずつ」を忘れて「いっぱい」に虚無りながらでも、出来ることをすることしかできんのやから。

 

 

でね、やっところがりはじめたこのタイミングで「やっぱり!!」と思ったんだけどさ

しんどい人が「助けて」を言わないと助けてあげられない仕組みって、マジで嫌になるね。私は絶対(これは「絶対」)そんな仕組みをしたくない。

もちろん無いよりは遥かにマシ。

 

だけど、

「言えないから困ってんだろ!!」って人、コト、があまりにも多い。

しんどい自覚がなかったり、自認するのが嫌だったり、内外からのいろんな圧があったり、そもそも助けの手がコッチから伸びているのを知らない人もいる。

そんな人、コト、が目の前に見えているのに、コッチは両手広げているだけしかできなくて、「誰も来ないなぁ」なんて、言ってる場合じゃないだろう。

 

そんなことを考えながら、なんとかしたい人たちの顔を浮かべながら、でも画期的なアイデアは浮かばないまま、1日1日が終わっていきます。

 

「助けて」を言わなくても何かできることがあるのかな。

 

 

 

 

「ゆるりと」は「責任を持たない」こととは違うんじゃよ。(自戒)

冬です。無職です。

働いてない上に光熱費をかけるのはマイルールに則ってダメなので、超厚着でウォーキングして体を温めてから部屋で過ごしています。無灯。

山陰の冬季うつはヤバいけど、今年はまだ晴れが多い気がして助かる。

 

最近はよくゆるしかの今後の方向性について考えています。年末だし。

 

今のゆるしかは、私一人が屋号的に使っていますが、もとは前身の「Feelgood」の後継(?)として、そのうち団体になればなぁなんて思っていたものです。

ただ、虹色らくだ時代に自分の代表力の無さを痛感してしまっていたり、「ゆるりと」「ご自愛」の精神のもと、驚くほど気儘な動きを見せてしまったりするので、「振り回すのは自分だけに!」ということで、ワンマン代表をしているわけです。

 

が!これにはそもそも認知の歪みがある説。

「代表がしっかりしてないとメンバーを募ってはいけない」なんてことは一切ないと思うし、そもそも今の時点でまったく全部を一人でしているわけでもないじゃんね…様々な方々ありがとうございます、マジで。

 

だから、何らかのきっかけで軽くなったタイミングがあれば、「ご一緒する者このゆびとーまれ!」をやるかもしれません。

それまでヌボっと発信を続けますので、受信して「ふーん、おもしれー人間。」と思ってくださったそこのあなたは、準備運動をしていてくださいね。

 

団体運営や活動自体に擦り減らされたら元も子もない。でも多少はしんどいのも覚悟だ。

どこまでゆるく、どこまでしっかりやるか、どうやったら誰も倒れないか、考えながらぼちぼち進みます。しっかりかくじつに、ですな。

 

ひとまず、今日もゆるりと~

 

ゆるしか出店報告と、それで考えた「居場所」の話

お久しぶりですー。

 

オンライン交流会のヤルヤル詐欺が常習化してきています、もうしわけないです。どうもオンラインは苦手らしい。早くコロナ終わらないかなぁ。

「対面やるぞ」って人たち、「家に居よう」って人たち、どちらからも日常が戻ってくると思っているので、私もどんな形でも動いてみよ~と、ラクに考え始めたところです。

 

それで、11月は2回、「ゆるしか」の屋号で出店ごとをしてきました。

1つめは「用瀬さんぽ市」、こちらは文具類の「ご自由にお持ち帰りください」とケーキの販売、あとイートインでこたつ

2つめは喫茶ミラクルの「ミラクル朝市」、こちらは同じく「ご自由にお持ち帰りください」と、私の蔵書で移動図書館みたいなことをしました。

 

え、めっちゃエエやん。

場が良すぎる。どうやったらあんな感じになるんだ。語彙力。とにかくイイ。

自由に楽しくなんでもええやんが滲み出た、体現された場が、私は欲しいんだなぁと思いました。

 

と、同時に、やっぱり主催側の頭でも考えてしまったのですが、ああいう場を「作る」方は難しいんだろうなぁ。

ぼやっと思ったのは、ああいう場の「なんでもええやん空気」の中にも、やっぱりしっかりしないといけない部分があるということ。

「コンセントは自由に使ってOK」の裏には、しっかり電気代を支払う主催者がいて、「食べ物売ってOK」の裏には、食品衛生の講習を受けて保健所に申請した主催者がいる。「なんでもええやん」「おもろいことやったらええやん」を提供するために、「無条件」のために、たくさんの条件をクリアしていかなきゃいけないのかなと思うと、尊いしやっぱりヘルジャパンだし、私もそういう場を作る側にいたい。

 

もうひとつは、ああいう場は、ほかの場所よりも「好む/好まない」がハッキリ出やすくて、それゆえ「いかに扉を開けておくか」が大事そうだなということ。

波長の同じような人が集まったら居心地がいいに決まっていて、それでもいいんだけれども、あんまりにもその場の人たちだけで楽しそうにしていると、温度差で外部の人も入って来づらい。私が活動拠点を決めたくないのはこういうのも要因だと思う。

「この場を知ってて、狙ってくる人たち」と「名前だけは前から知ってて、やっと覗きにこれた人たち」と「なんとなくやってたからきた人たち」と、アンドモアの人たちが、分断されずに混ざり合って在るためにはどうしたらいいのだろうとか、そういうことも考えていました。

 

私にとって今回の用瀬や喫茶ミラクルは「理想的かつ非日常」の場なので、居心地はいいが家に帰ってからの反動が大きい!(明日からまたヘルジャパンを彷徨うのか…憂鬱で仕方ねぇ…)とやさぐれてしまったり、考え事でいっぱいになったり。

が、今は無職の身。ヘルジャパンの一部(労働)とちょっと離れてみて、いろんな話も舞い込んできて、「非日常」を日常に出来る選択肢も出てきました。

ミックスバーやろうよとか、子どもの居場所作りやろうよとか、シェアオフィスしようよとか。

とはいってもそっちに全振りしてたら生活が立ち行かなくなるので、いまは稼ぎと夢の配合比を考え中です。

 

「みんな」「居心地のよさ」「なんでもええやん」と「なんでもええやんを用意するための現実的なアレコレ」…考えることがたくさん出来た11月でした!

いろんな場所に行って、アレコレ考えて、ぼちぼち何かをやってみよ~、と思ったのでした。