「助けて」を言える力を育む、は間違いではないけれども。

学生さんの春休みに合わせてオフ会の企画を始めようか…始めまいか…考え始めた田中です。

「やろう→停滞→できない」のループをなんとか打破したい。ここ2年くらいずっとずっとオフ会の話してるやん。いつやるの今でしょ。知らんけど。

 

とは言え、やっとこさミラクル朝市に繋がれて、パーラー株湯に繋がれて、よりん彩にアポが出来た。私の大事さんが言ってたけど、「ころがりはじめたら、なんとかなる」かもしれないな。

絶対、保証、確実、安心、、、なんてのは難しい、いつだって目の前にあることを1つずつ整え、片付け、こなしていく。たまに「1つずつ」を忘れて「いっぱい」に虚無りながらでも、出来ることをすることしかできんのやから。

 

 

でね、やっところがりはじめたこのタイミングで「やっぱり!!」と思ったんだけどさ

しんどい人が「助けて」を言わないと助けてあげられない仕組みって、マジで嫌になるね。私は絶対(これは「絶対」)そんな仕組みをしたくない。

もちろん無いよりは遥かにマシ。

 

だけど、

「言えないから困ってんだろ!!」って人、コト、があまりにも多い。

しんどい自覚がなかったり、自認するのが嫌だったり、内外からのいろんな圧があったり、そもそも助けの手がコッチから伸びているのを知らない人もいる。

そんな人、コト、が目の前に見えているのに、コッチは両手広げているだけしかできなくて、「誰も来ないなぁ」なんて、言ってる場合じゃないだろう。

 

そんなことを考えながら、なんとかしたい人たちの顔を浮かべながら、でも画期的なアイデアは浮かばないまま、1日1日が終わっていきます。

 

「助けて」を言わなくても何かできることがあるのかな。