爪切るのって、夜お風呂あがりが最強やん。知らんけど。
大晦日ですね。明日から正月。
SNSを見ていると「正しい年末年始の過ごし方は?年越しそばは何時に食べる?」「三が日にしてはいけないことは?」「おせち料理の意味とは?」とか、そんなコラム多めになってきました。
曰く、正月三が日は火も刃も使えないし掃除もダメ、ただ休め。あと肉は食うな。とかナントカ書いてありましたが、田中は元旦から揚げ物作り置きパーティーをやるつもりですよ。えぇ。
私は宗教的な何かとか伝統?みたいなことに傾倒するということはなかろうと思う。
特に、「これをしないとこういう悪いことが起きますよ」みたいな、脅し的な教訓でもって信仰を強化しようとしているものは、なんかウケる。
別に年始早々掃除したって、神様を追い出したりしませんよ。
うちにはお米が5キロ分あるんだぞ!1粒に7人の神様がいるって、じいちゃんが言ってた。
大掃除しきれなかったたくさんの物たちにだって、神様が宿ってんだ!八百万の神だ!
そりゃあ年末年始もボーっとしたいし掃除なんて年がら年中したくない。だからめんどくさければ「あー、年末年始は休めってコラムで読んだよ。」とか言って寝てるけど、信じなくてもたぶんダイジョブ。何も起こりませんて。
占いや風水、アロマや夢占い、パワーストーンとか言霊も、広く浅く知っているけど、信じ込むものじゃないね。いいことだけ覚えておいて、悪いことは忘れるし、それ以外の視点(科学的視点とか)もいれてみると、だいたいは根拠なんてないのだ。
そうして取捨選択していかないと、「自分で選んだ自分の人生」が揺らぐ気がする。今日のラッキーカラーで選んだお洋服も、風水的にいいから買った観葉植物も、夢占いのお告げで連絡を取ってみることにした友達も、全部自分で選んでないと思うから。
キリスト教を信じる同性愛者は、教義と自己の間で苦しんでいたりする。
過激派ヴィーガンは、栄養不足で心身に不調をきたすこともある。
カルト宗教に依存して経済的に立ち行かない人もいる。
反西洋医学を信じたがために、治せる病気が治らずいる人もいる。
こういう事柄には、対抗していきたい。
無宗教でも死なないからダイジョブ。こちとらキリストのこと考えるの年1。
アニマルライツやフードロスは課題。できるだけ配慮している農家さんから買おう。
周りの人や自分自身を見てみよう。そんなに傾倒しているのに幸せになれない教えって、ただの嘘やん。
労力もメンタルも要るけど、何ndオピニオンでもしていこう。口コミはどうだか確かめよう。
そういう風にして、結局は自分で決める。結果がどうであれ、自分で決めたのなら納得がいくし、もしダメでも次どうしようか考えられる。「○○べき」思考にもつながりにくくなる。と思う。
納得がいくものに傾倒するのはおおいにオッケー。信じるのがちょっと苦行になっているのだとしたら、2021年に置いていこうぜ。