教祖がいなくてもなりたい人に成れな!

先日じんじんさんに会ったときに、「『聞いちゃあかんかな』とか何もないし聞いてやー」のコーナーがあったので、1つかねがね気になっていたことを聞いてみた。

 

じんじんさんって、なんかこう変わってるしすごいし、「崇拝!」「信者!」みたいな感じになりそうな感じ(カリスマ性とか言える語彙力欲しかった)もあるけど、「その辺のおっちゃん」感もあるし、それが同居してるのは不思議だな~と思って。「熱烈信者です!!」みたいな人とかいなさそうなのが不思議~!と思うんですけど、どうですか?(?)

 

じんじんさん曰く、「意識したことなかったけど、崇拝されないように避ける振舞いをしているかも」と、「野点という”作業”があるから、”作業をする人”という役割があるのは(信仰される/されないに影響が)大きいかもしれない」ということでした(ざっくりだけど)。なるほど。

確かに私もじんじんさん大好きではあるけど、じんじんさん個人にも、じんじんさんがいる屋台や風景やそこで流れる時間・空間そのものにも惚れているな。崇拝とかそんなんじゃないな。

 

そう考えたら、何か人を巻き込むことも特になく、講演して、ブログ書いて、たまに新聞やテレビで見るような私なんて、教祖の活動やないの…。「すごーい!」って言われても仕方ないなぁ。実際はそんなんじゃないのになぁ。

もっと何かしら、個人以外のところに惚れさせポイントを作らんとな。わからんけど。

…と、別にただの凡人風情が思うたのでした。