安アパートを借りてやる実験

福祉的なことをするお金ってどこからやってくるのだろう。私は細々と講演活動をして、連載を書き、お菓子を売り、アクセサリーを売り、今度(4月22日)はカレーを売ろうとしている。物販に関しては原価の計算をほぼしていないので、「その日稼いだ現金」だけ見て喜ぶけど利益はほとんどないようなことをずっとやっている感じ。これまではそれでもよかったのだけれど、いよいよお金の問題と向き合わねばならないときがきた。

 

4月のいつからか、大学周辺の安アパートを1部屋借りることにした。有志と共同出資。私も貧しければ有志も貧しい。いよいよちょっとは考えないといけない気がしてきている。

 

 

アパートの一室でやろうとしていることは、いわゆる「居場所活動」。

「居場所」とうたう施設は多い。実際居心地がいいし魅力的。だが私は乱立するNPOよろしく、既存のものがあるというのに「新たに」「自分が」立ち上げようとしている。

(「乱立するNPO」ってワード、棘があるなと自分でも思うんだけど、もちろん正しく運営しているNPOを悪く言う意図はなくて、よくわからないグレーな団体に対する違和感を言っている…つもり。私が始めようとしている試みも十二分に怪しいし。)

 

私は投資や寄付やクラウドファンディングやグレーな商法が苦手。「今時じゃないね」と言われても、物々交換かカネとモノの等価交換を最も信頼している。カンパ箱を置いてはみるものの、受け取るのはやっぱり得意じゃない。お金って重くて大事なものだから。お金はテメーの時間とテメーの体を削って得たい。

 

 

いつの日か、古民家でも借りてフリースクールと地域食堂と茶話会とシェルターと作業所とデイサービスをやりたいな、なんて思ったりもするけれど、それってやっぱり「乱立するNPO」がクラウドファンディングかなんかでとっくにやっていることで、わざわざ私がやる必要はどこにもない。

し、いざ作業所が始まったって自立なんてほど遠い工賃しか払えない仕事しか提供できないのなら意味がない。社会的にも意味がある、自己有用感もある、価値のある仕事でしっかりと給与を払える仕事を、探すか生み出してみたいと思っている。そうじゃなきゃ、とても他者を巻き込むことはできない。

 

動画編集?製本?小ロットでのグッズ制作?新しい代行サービス?たぶんこの先何年もアンテナをはり続けてやっと浮かぶか浮かばないか。でも考えることはやめたくないなぁ。

 

手の届く範囲で、できることから、ゆるりとしっかりかくじつに。安アパートの一室がどんな風になっていくのか実験。なんだかんだ楽しみです。

小さな社会を作りたいと思った話

福井のLGBT活動家「かずえちゃん」の動画を観た。「私たちLGBTQ+はここにいます!」

https://www.youtube.com/watch?v=QUMQiDNmLo0

 

LGBT、性的マイノリティへのヘイトスピーチがあちこちで聞かれるようになった。

「認知度が上がってきて理解者も増えたのかしら?活動頑張って来てよかったな」なんてぬるい考えが吹き飛ばされた。「講演なんて、もう当事者じゃなくても大丈夫なのでは?」「知識ある誰もが発信できる世の中になったのでは?」なんて思っていた。

けれど実際は、名前の認知度が上がっただけで、実はたくさんの人が不満や偏見や不信感や嫌悪感を持っていて、「言っていいなら言わせてもらおう」とヘイトスピーチを撒き散らしている。

「政府が急に推し始めた得体のしれない何か」みたいなことも言われたりね…。政府が急に推進し始めたのは間違ってないけど!笑

 

すっかり「生きやすくなった」なんて勘違いしている私には、ヘイトスピーチが痛いのなんのって、もうくじけそうで、LGBT活動なんてやめちまおうかと本気で思ってしまう。

ズルいけど、私は女性にも女性性にも異性愛者にも擬態できてしまうから、隠そうと思えばできてしまう。こんだけ講演だイベントだとやっておいて何だけど、ほんとうに、社会が怖い。やってらんない。

今回のヘイトスピーチ大噴出を眺めながら、なんか悲しくなって、悲しみにそっと蓋をして、日々生活している所です。

 

そんな中で、件の動画を観たのです。

 

「ありのままのあなたでいい」「私はあなたの味方です」「応援しています」という言葉は温かくて、救われて、ああまだ生きていけそうだなと心から思えて、いい動画でした。一方で、動画を観終わって、パソコンから目を離してあたりを見回したとき、「社会って怖いな」と改めて思ってしまいます。敵も味方もないまぜで、どこに敵意を持った人がいるのか分からない。おそろしいことです。

 

「安心できる場と一般社会のギャップがつらくてたまらない」という気持ちは、たぶん大学生の時に「虹色らくだ」で活動を始めた時からゆるゆると悩んでいたモノで、最近やっとキチンと文字にすることができました。私が「ゆるしか」の活動で「LGBT」色を出さなくなったのは、「LGBTにやさしい空間」を作ってそこに在りたいのではなくて、「誰にでもやさしい空間」、小さな社会の中でそこに在りたいと思っているからです。

 

なにかの自助会、なにか特定のマイノリティの居場所というのも、絶対に必要ですごく重要で、絶対に救われる人がいます。そして、その次段として、「誰もかれもないまぜの、しかし安心できる小さな社会」みたいなものが、私が欲しい空間であり作りたいものです。おそらく。

 

活動内容がさいきんますます意味わからんことになっていますが、自分の中ではボンヤリでも筋が通っているつもりで、それをナントカ説明していこうと思っているわけです。

トランスヘイトにNOと言いたい

#トランス女性は女性です のタグ運動が出来たのは何年前だったろう。長いこと存在は知っていたものの、何も発信できないまま今まで来てしまったことが申し訳なくて、つらい。

 

いま、あちらこちらで(LGBTのことなんて考えたことがなかったであろう人も含めて)トランスジェンダーへのヘイトスピーチを見聞きする。

私も何も言えずにいた一人だけれど、でも、絶対にNOだ。黙っていたらNOにはならないから、頑張って私が考えたことを書いてみることにする。

 

 

私がこれまでトランスジェンダーについて発信できなかった大きな理由は2つ。

第一は「トランス女性は女性です」の1文が読み解けずにいるから。(2つめは後ほど)

「トランス女性は女性です」が示す、「トランス女性」や「女性」とは、それぞれ誰のことを示すのか。

「トランス女性」とは誰か。

性同一性障害の診断を受け、性別移行が済んだ戸籍上女性の人 なのか

性同一性障害の診断を受けているかは問わず、性自認が女性である人 なのか

・パス度が高い人(周りが見えて女性に見える人) なのか

 

「女性」とは誰か。

性自認や表現する性は問わず、戸籍上女性の人 なのか

・女体を持つ人 なのか

・周囲から女性と扱われる人 なのか

 

や、「こんなのはつまらん指摘だ」というのはわかっている。こういう「線引き」や「区別」に、私たちは苦しんでいるのだ。「誰がどんなセクシュアリティであろうと、グラデーションなのだから、よいのだ。いてよいのだ。」と伝えて回ってきた。

「トランス女性がだれで、女性がだれか」なんてのは些細なことで、「望む性を生きたい人が、そう生きたい」というだけの話なのです。わかっているつもりです。

 

 

でも、いっしょくたにせずにしっかり考えていきたいのは、ヘイターも挙げている「性犯罪が起こる可能性」について。これが発信できずにいた理由の2つめで、今もまとまらないでいる。

 

「トランス女性が女子トイレや女子浴場などの女性スペースに入れるようになったら、トランス女性と自称する性犯罪者が紛れ込む可能性がある」と、ヘイターや一部のフェミニストは言う。わからなくもないが、でもしっかりと、「これは間違っている」と言いたい。

 

「トランス女性」は、自分の身体性(男の体)に違和感がある、性自認は女性で、「女性として生きていきたい」と思っている人を指す。

身体性が性自認と違うというのは、自分事として想像しただけでもつらいことで、その当事者の生きづらさは計り知れない。そんな人たちが性犯罪者になんかなるものか。混同するでない。

トランスジェンダーのことやLGBTのことを深く知らないから不安に思ったり、拒否反応を示しているって人も結構な数いると思っています。

 

悪いのは「トランス女性に成りすまそうとする性犯罪者」であって、トランス女性ではない。だから、トランス女性の生きたい生き方を制限しようとする意見には、私は反対したい。

 

性犯罪のリスクを下げたいなら、「どうやったら性犯罪を防ぐか」や「性犯罪の罰則を重くしよう」みたいなことを考えるべきで、「リスクがあるからトランス女性はダメ」というのは、おかしな話だ。

だし、世の男性諸君はもっと怒っていいと思います。間接的に性犯罪予備軍扱いされてますよ。

 

(余談だけど、この手の話はよくある。たとえば「障がい者等用駐車区画利用制度」の話をするときに、「障がい者本人に許可を出すと、許可証を又貸しして悪用される可能性があるから、車両に紐付けるべきだ」という意見も出た。でもこれも悪用する人が悪いのであって、そのリスクのせいで利用者が制限されるのはおかしい話です。)

 

(そしてさらに余談だけど、「女性に性的欲求を持つ」という人は何も男性だけではないので、すでに女性スペースで共に過ごしていると思いますよ!なーんて私は思うのです。それから、今回何で「トランス男性」について触れている人が見えてこないのかも、考え始めるとおもしろそうです。)

 

「何をもってトランス女性とするか」、「性自認」という目には見えないものをどうやって信頼するか。トランス女性にもいろんな人がいて、性別移行をするお金がない人だっているし、「トランス女性のクロスドレッサー」だっている。「トランス女性のレズビアン」だっている。私みたいに「性自認が女性ではない女体ユーザー」だって、すでに女性スペースに居るのです。(私は気まずくて多目的スペース使ったりもしてます。)

 

私は、こういう課題は長い時間をかけて啓発したり、話し合ったり、ルールを決めたり、予算を投じたり…と、すごく長い道のりがあってどうにかなるかならないかだと思う。

現時点、この先少なくとも10年くらいは「トランス女性は女性だけど、シスヘテ女性(とも自認していない人たちが多数の社会においては)とは同じにはなれない」と思ってしまいます。

だから、丁寧に丁寧に、向き合ってくれる人とは向き合って、啓発を続けていきたいと思っています。

…と、私に言えるのはこのくらいです。情けないですが。

 

 

以下は私の自分語りにはなってしまうけど、私自身は性自認を定めていない「トランスジェンダー」の1種です。だから「本当の女性しか女性スペースを使うな」と言われたら、私もはじかれてしまう。

 

そして、私は周りからは「女性」として扱われてきて、学校や職場での男性からのセクハラは当たり前のように体験してきたし、男性からも女性からも性的欲求を向けられて怖い体験をしたことがある。そういう意味では、女性スペースであれ共用スペースであれ常に危険で恐ろしくて、「一人じゃないなら安全ではない」とさえ思う。

 

余談だけど加えてこの貧困の世。公衆トイレで盗撮をするのは何も男性だけではなく、「何の障壁もなく女性スペースに入れる女性が、女性を盗撮して売りさばく」なんてことも、絶対にあると思っている。ただでさえ自分の性を売り歩く人は多くて、そうでないと豊かに生きていくのが難しい状況なのだろうと思うと、胸が苦しい。

私だって、お金がなくなればブルセラにでも登録しようかと思うほど、「性を売買する」ということが身近にある、大変な世の中です。

 

「トランス女性は女性です」が、これだけ多くの人(これまでLGBTなんて知らなかったであろう人も含め)に注目されているのは、「トランス女性が女性かどうか」以外のことも含め、とてもとても大きい話になっているからです。

私も自分のことを考えたり、自分の性被害のフラッシュバックまで起こしちゃって、「トランス女性は女性かどうか」のことだけをまっすぐに考えて述べることができずにいます。きっとそういう人もたくさんいるのだと思います。

こういう状況を見て、「そうじゃない!」と思う人もたくさんいるはず。申し訳ない。ゆっくりゆっくり、ひとつずつ考えて発信していくので、もう少し辛抱させてしまうかもしれないです。

ゆるしか図書館「居場所づくりの回」のお知らせ

3/26(日)11:30~16:00 用瀬takemurateiにて「ゆるしか図書館」やります!

今回の選書は…の前に、今回のテーマは「居場所づくりの回」としました。

※「会」とか「回」とかブレてるんやけど、どっちでもええわ!今”回”はそういう”会”なんよ。一応オフィシャルには「回」ということにしておきます。

 

学童保育のアルバイトをしながら、小さい子連れがメインターゲットの観光施設に勤めながら、学校を中心に講演をして回りながら、いくつかの開かれた場を転々としながら、知人友人と話をしながら…「居場所とは何か?」「居場所づくりとは何か?」について、さいきんよく考えています。

 

乱立するNPO自助グループ、あちこちで始まるこども食堂フリースクール、サードプレイス。一体どこがどうで、どんな思いを持ったどんな人がやっているのか。選択肢が多いのはいいことだけれど、選択肢が多いと人は迷う。ので、一堂に集まってみるのも楽しそうだなぁという回をやってみようと思ったのです。

 

私の体験談からですが、チラシや情報を手に入れて存在を知っても、レビューを調べて安心だとわかっても、「実際に行ってみる」というのはどうにも勇気がいることで。

「オーナーをちょっと見てみる」とか「行ったことある人の話を聞いてみる」とか「ちょっと小情報を聞いてみる」とかすると、なんだか足取りが軽やかになることがある。そういう場が作れないかな~~と思ったわけです。

 

 

めちゃくちゃ規模のでかい話をすると、私は「外(社会)に出たい引きこもり(最近は“こもりびと”っていうそう)は、外に出れるようになればいい」と思っていて、そのための場を作っていきたいと思っている。

そう思いつつも、「外に出たいと思っていない引きこもりを外に出すのは無理」とも思っている。よく言う「変われるのは自分だけ」の考え。

道をこさえて声をかけることは出来るが、靴を履いて外出するのは本人だ。

場を作ることはできるが、場に入るかどうかを決めて行動するのは本人だ。

 

「なんでもいい」「だれでもいい」場において、「なんでもいい」「だれでもいい」と思えるかどうかは本人次第で、私には関与できない問題で、あまり考えないようにしているというのが本当のところ。

自分でも「冷たいな~」と多少は思うけれど、他者のご機嫌を窺い続ける癖をようやっと払いのけてサバイブしている私は、人のことばかり気にしていちいち胃を痛めるのはちょっともうご勘弁願いたく、できることだけやろうと思っています。

(余談だけど、子育てとなるとこうも言ってらんないのがほんまにつらそうやなと日々思ってます。親になったことないから全部はわからないけれど、すべての親のみなさん、いつもおつかれさまです)

 

とかなんとか言ってますが、今回の集まりを一番楽しみにしているのは多分私です。恥じることはない、私自身が居場所を求めつつ他者が苦手な出不精だから。毎回図書館とかでチラシだけ手に取ってその後何もアクション出来ない生活をかれこれ15年くらいやってるから。

似たような団体が、それぞれどんな感じなのか、誰がやっているのか、チラシだけじゃわからない話をドンドン聞いて、そんで他の人にも広めてやろうではないか。楽しみです。

 

「ゆるしか図書館」の選書テーマも「居場所」に関するもの多めにするつもりです。あとマイノリティに関する本。

まぁ本なんてもののついでなので(?)、積読的に「タイトルだけみて終わり」でも全然オッケーですので。

来月開催。もうちょっと告知したいな。ぼちぼちやりまーす。

差別発言について、考えたこと

お偉方のヘイトスピーチ(不適切発言、なんてボカさずにあえて「差別発言」「ヘイトスピーチ」と言うよ)を受けて思ったことなどを取材していただきました。有難い。

記事を読みました。いろんな方を取材されていて、中にはしっかり当事者も居て。「鳥取県内で活動している当事者は多分私くらい」なんて言ってるくせに、当事者と出会えていないことが恥ずかしいことこの上ない。「やっぱ居るよね!」と勇気付けられちゃって、本当にええ記事でした。感謝。

 

ひとり一言ずつで、お話した全部はもちろん乗らなかったので、こちらに書き置きます。

 

今回のヘイトスピーチのことの流れと、思ったこと

正直この手のことはずーっと前からあって、私の場合は2018年新潮45のS田議員の件から。飽きるほど見てきて、もう怒る気力もない。

どうせ今回も「LGBT気持ち悪い」とか言って、炎上して、何日か後に「誤解を招く表現」とか「当事者を傷付ける意図はなかった」とか「○○党に迷惑をかけて申し訳ない」みたいに、ソウジャナイところに謝罪して、撤回も修正もしないし、ヒアリングや勉強も辞職もする気もないんでしょ?そんで炎上が止まらなければトカゲのしっぽ切りされたりするんでしょ?と思って、早々に情報をシャットアウトした。

ネットニュースに連なるヘイトコメントを1日30分~2時間くらい通報して回って、あとはご自愛に徹することにして、下手くそに逃げ回っていました。

 

以前は怒ったり悲しくなったり、希死念慮を募らせたりしていたこともあったけれど、私一人がどんなに傷付いても、向こうはそんなこと知らんし知ろうともしないし見たくもないと来たもんだ。そんなの、傷付くだけ勿体ないと、私は捻くれた。

だから、今回取材をしてくださって、メディアで発言する機会があって、本当によかったです。

 

ヘイトスピーチを食らうことは勿論ある

講演活動をしていて、面と向かっても、自由記載のアンケートでも、ヘイトスピーチを食らうことはまだまだあります。数としてはやっぱりというか、大人の方が多い。でも中学生高校生でも、「こういう病気の人には優しくしようと思った」みたいな、そんなこと講演で一言も言ってないのに~みたいな感想をくれる人もいます。

理解できなくてもいいし、嫌いでもいいし、受け入れられなくてもいい。けど私たち、居るんだもの。居ない事にはしないでほしいし、見ないふりもされたくない。もう居るので。

 

そしてヘイトスピーチを吹っかけてくる人の中で、「話してみよう」「聞いてみよう」とする姿勢のある人に、私はまだ出会ったことがない。

「気持ち悪い」終わり。「好きに生きれば?」終わり。「あなた方は病気だ」終わり。吐きかけるだけで、その後の私の顔や声なんて見たくも聞きたくもない、という姿勢の人に、向き合い続けるのはキツい。誤解を解くのもきっと難しい。だって向こうに向き合う気がないからね!でもずっと心に溜めおくのも癪だし、私は彼らと向き合ってみたい、それで生み出したのが「講演後のお便り」というわけです。

 

私は「不寛容に不寛容であらねば」とは思っていない。不寛容な人だって、別に居ていい。私たちだって、不寛容な人に認めてもらわなくたって、もう居るし。

こちらの間口は開いておきますので、と、いつだって思っておりますよ。

 

特に伝えたいこと(しんどくなっている人へ)

こういうしんどいニュースや出来事にぶつかった時、つらければ無理をしないで距離を取ってください。闘える人が闘うし、矢面に立てる人が立ちます。

 

たとえば私は、フラワーデモ(性暴力根絶を訴えるデモ)にはしんどくて参加できないけど、在日へのヘイトスピーチに抗議するデモには参加できます。性暴力は自分事だからダメージがデカいんだけど、在日は当事者じゃない分、自分自身は傷付かないので、怒りや悲しみをもって戦えます。他の被差別マイノリティについても同じ。

LGBTに対して、同じように一緒に頑張ってくれる当事者以外の人が居るのも知っているので、大丈夫です。出来る範囲で、できることをしましょう。何より自分を守ることを

優先しましょう。

 

 

特に伝えたいこと(LGBT以外の人へ)

知ってほしいです。一緒に怒ったり悲しくなったりしてほしいです。助けてほしいです。

多数決でだいたい決まる(最近なんか上で勝手に決まってることもあるけど)社会の中にあっては、マイノリティは多数決で負け続けます。応援してくれる人が絶対必要です。

 

まずは知って、応援できるなら応援してください。

鳥取みたいな田舎でも、どんなに小さい社会でも、マイノリティは居ます。

現状は隠した方がマシだから、隠しているだけです。

 

そして、今LGBTが声をあげていることは、まったくの他人事ではないこともあります。たとえば、同性婚に関する運動では、お偉方は「結婚は男女が子を産み育てるためのものだ」と言っています。子どもを産まない人、産めない人、高齢で結婚を考えている人は直接傷付けられています。

トランスジェンダーの制服やトイレどうする問題も、ユニバーサルデザインの視点で多くの人がより快適になれるチャンスでもあります。

 

つながってみませんか?

いろいろと書いちゃいましたが、やっぱり私個人がひとりで動けることと言ったら、こまめな通報、署名、寄稿、ブログの投稿など小さなことです。これで社会が変わるなんてミリも思っていません。

が!間口はいつだって開けているつもりですので、話してみたい人がいたら、連絡ください。そのくらいは出来るかもです。

 

だいすきパーソンの炎上つらい。みんなエアリプにしなよ。

だいすきパーソンryuchellの炎上、すごくかなしい。

りゅうちぇるのことを全部ぜんぶ受け入れてまるっと擁護できるわけではないけれど、あんなにも強い風の中で、弱音も吐かず、家族にも頼る素振りを見せずに頑張っている。みんなさ、エアリプでええやん。なんで直接リプするんや…。

 

私はりゅうちぇるの生き様やこれまで選び取ってきたライフスタイルや、りゅうちぇるの言葉がとても好き。はじめて見た時、同じ年とは思えないほど大きく見えたし、実際大人だったし、元気が出た。日陰でウジウジひねて病んでばっかりだった私には、弱音も愚痴も明るく吐き出せる(そういう風に見える振る舞いができる)りゅうちぇるは新しくて、素敵だなぁと思った。

 

りゅうちぇるが結婚して、子どもができて、立派に親をしてて(ベビーベッドで寝てるリンクに「こんなんして勝ったの?すごいね~リンクかっこいいじゃん!」って話してる動画ほんまに好き!)、素敵だった。

“ふつうの男の人”じゃなくても家族になれるんだなとか、SOGIESC(のどれか)が多数派と違っても受け入れてくれるぺこちゃんみたいな人が居るんだなとわかって、パートナーシップに希望が持てた。結構本気で、りゅうちぇるとぺこというロールモデルが居なかったら、私はパートナーという存在に期待することは難しかったし、法律婚なんて出来ていなかったと思う。

 

私は多様な性とかSOGIESCについて知ってもらうための活動をしていて、「LGBTかどうか?」と聞かれたらYES側の人間だ。「SOGIESCは変わることもある」ということは理解しているし、自分自身も固定されない性のあり方を実践しているところ。性が揺らぐ、揺らぐほど幅があるということを知らなかったり受け入れ難い人がいることもわかる、ある程度叩かれたりするのもわかる。りゅうちぇるは特に、急に変わったし!

 

たとえばの、私の知っているエピソードを紹介。性自認にあった制服を着て登校したいという子がいる学校に講演に行った。その子は先生にカミングアウトして、学校側は「その子チーム(委員会)」みたいなのを結成。そこに私も当事者代表として呼ばれて、その子が望む制服で元気に学校に通えるように、いろんな段階を踏みました。

「その子チーム」の先生方が中心になって、たくさんの話し合いをしたんだと思います。私が参加したのはそのうちの数回。

クラスでカミングアウトする時はどうしようとか、その前段の事前学習はどうしようとか、地域の人への応対はどうしようとか、そのための地域との連携の確認とか、ハード面もソフト面もたくさん時間もお金も労力もかけておられました。どれもこれも、その子の安心安全な学校生活を守るためです。

(いちばんおもしろかったのは、「(LGBTがどうこうとかではなく)制服移行期間を長くする」っていうルール施行!合法でジャージor体操服登校ができるなんて夢のようかつ画期的なルールでした)

 

このエピソードがなんだ、というのは「バックアップはあればあるだけ心強い」というのと、「ひと1人がカミングアウトして、その人が希望する生活を快適に(快適に、重要。)送るためには、労力も時間もお金もたくさん必要」ということ。

 

りゅうちぇるはどうかしら。

いま、LGBT関連のお偉方の不適切発言や炎上案件が大量にあるけれど、「LGBTフレンドリー」を語る企業や著名人ら、いわゆる“アライ”の立場の一体どれくらいが「NO」を示してくれていますか?何人がどれだけ味方してくれていますか?りゅうちぇるを取り上げ持ち上げたメディアのうちいくつが、今のりゅうちぇるの応援や擁護、理解促進をしてくれていますか?

 

ここからは私の推測だけれど、りゅうちぇるは長らく表向き・メディア向き・世間向きの「らしさ」でいて、とっくに「自分らしさ」を見失いながら頑張っていたのだと思う。その間も皆が思うりゅうちぇるとりゅうちぇるらしさのズレは大きくなって、爆発したんやないかなぁと。

本当はもっとゆっくり丁寧に変わっていく方法もあっただろうに、急にパンと変わってしまった。そうならざるを得なかったのだろうが、その変わり様に誰もついていけていない現状は、だいぶつらいなぁ、危うげだなぁと思う。心配です。だから応援します。

 

 

 

以下余談というか自分のことを書きます。

りゅうちぇるを見ていて考えたことではあるけれど、「私はこう、だからりゅうちぇるは」みたいな意図やそういう展開は無いです。ただの私の話。読みたい人だけドウゾ。

 

先の話ではほぼ触れていなかった「子どもを持つ」ということについて。

私は活動をし続けている以上、というか自分が多数派ではない以上、子どもを産むつもりつもりはないです。今のところ。

 

LGBTであること、その上活動をすることは現状の社会ではリスクでしかないので、子どもを好奇の目に晒す危険性があるなら、そんなことは絶対にしたくないです。

法律婚にあたっても考えました。私は良くても、パートナーは?パートナーの家族は?と考えると、難しい問題でした。現パートナーは協力・応援してくれているので有難いですが、もし今後私のことでパートナーが不利なことになったら、迷わず活動をやめます。

 

子育てをすること自体には前向きです。養子縁組とか。

学童保育のバイトをしていて、子どもと関わるのは好きだし、子どもはもれなく全員愛されるべきだと思うし、恵まれない家に生まれた子は全員違う場所で愛されて幸せになってほしいと思う。

 

書きたいことを書くといつもまとまりがなくなるけれど、これにて。

「成りたい人になるで式」大成功の記録2 妄想していた景色と実際見た景色

当初の妄想では、

・1階土間がガヤガヤええ感じで、イベントをめがけて来た人もエスマートにいく予定で通りすがった人も、なんか迷い込んだ人もいる空間

・2階はイベントをめがけて来た人や本を読みたい人、話したり考えたりしたい人が静かに安心安全に過ごせる場所

・1階掘りごたつ部屋を「土間のガヤガヤ」と「2階のしっとり」の中間として、ご飯を食べたり話したりする場所

としていました。人の多さや賑やかさやイベントに持ってきた思いみたいなものが、うまい具合に土間―掘りごたつ―2階へとグラデーションになるイメージでした。

 

いやはや、うまいこといきましたね。

当日見た景色をいくつかご紹介。

 

・チャリで通りがかった人「エスマートに買い物しに来たんやけどなにこれぇ、ちょっと自転車停めてくるわ」

・いつも不真面目にくる子どもが火鉢をいこったりそのへんの見知らぬ大人も巻き込んで神経衰弱やったりしている風景

・2階でゆっくりご飯を食べてた人たち「ごめんなさいチラシとか勝手に動かしちゃいました!」の風景 (「下ろしちゃ悪いかなぁ」とか考えて身動き取れなくなる必要はマジでないので、大変よかった!)

・「あっ!あの棚の人だ!」から始まる棚オーナーさん実写化の瞬間

・トイレのノブが古いタイプで延々右に回したら開くこともあることを来る人来る人に説明する掘りごたつ集団の風景

・掘りごたつで根っこが生えた集団の風景

・おそらく初対面のおじちゃんの顔芸に恐怖を覚えた子どもがおじちゃんに一生「あっち向いてホイ(こっち見んな?)」している風景

・子どもへの性教育についてアレコレ話し合っている風景

・ゆるしかのこともイベントの内容も全く知らんかったであろう人がLGBTが出てくる映画の話をしてて「今日その会だよ!」と総ツッコミされてみんなで笑てる風景

 

そのほかいろいろ。

 

みんなゆっくり過ごしたり、色々考えたり、妄想したり、とにかくなんでも「ええこと」があった日になったのでしょうか~。

私はいろんなところをフラフラしており大変よかったですが、駐車場も含めてまるまる1軒でイベントをしたことはないので、私が見きれていないところでもしかしたら居心地が悪かった人や、しんどかった人もいるかもしれない、いやいるだろう。

今回初めて「LGBTのひと」と出会った人もいるかもしれない。そういった人にとっては私がLGBTのイメージになってしまうかもしれないね。

今回のイベントがしっくりこなかった人や、私という人間がしっくりこなかった人もいるだろう、いてよいのだ!でも懲りずにまたイベントに来たり、違う場所を探したり、違う人の講演を聞いたりしてみてくださいね。

 

私もまた、新たな妄想を育てたいと思います!

懲りずにゆるりと、しっかり、かくじつに、またどこかで~