トランスヘイトにNOと言いたい

#トランス女性は女性です のタグ運動が出来たのは何年前だったろう。長いこと存在は知っていたものの、何も発信できないまま今まで来てしまったことが申し訳なくて、つらい。

 

いま、あちらこちらで(LGBTのことなんて考えたことがなかったであろう人も含めて)トランスジェンダーへのヘイトスピーチを見聞きする。

私も何も言えずにいた一人だけれど、でも、絶対にNOだ。黙っていたらNOにはならないから、頑張って私が考えたことを書いてみることにする。

 

 

私がこれまでトランスジェンダーについて発信できなかった大きな理由は2つ。

第一は「トランス女性は女性です」の1文が読み解けずにいるから。(2つめは後ほど)

「トランス女性は女性です」が示す、「トランス女性」や「女性」とは、それぞれ誰のことを示すのか。

「トランス女性」とは誰か。

性同一性障害の診断を受け、性別移行が済んだ戸籍上女性の人 なのか

性同一性障害の診断を受けているかは問わず、性自認が女性である人 なのか

・パス度が高い人(周りが見えて女性に見える人) なのか

 

「女性」とは誰か。

性自認や表現する性は問わず、戸籍上女性の人 なのか

・女体を持つ人 なのか

・周囲から女性と扱われる人 なのか

 

や、「こんなのはつまらん指摘だ」というのはわかっている。こういう「線引き」や「区別」に、私たちは苦しんでいるのだ。「誰がどんなセクシュアリティであろうと、グラデーションなのだから、よいのだ。いてよいのだ。」と伝えて回ってきた。

「トランス女性がだれで、女性がだれか」なんてのは些細なことで、「望む性を生きたい人が、そう生きたい」というだけの話なのです。わかっているつもりです。

 

 

でも、いっしょくたにせずにしっかり考えていきたいのは、ヘイターも挙げている「性犯罪が起こる可能性」について。これが発信できずにいた理由の2つめで、今もまとまらないでいる。

 

「トランス女性が女子トイレや女子浴場などの女性スペースに入れるようになったら、トランス女性と自称する性犯罪者が紛れ込む可能性がある」と、ヘイターや一部のフェミニストは言う。わからなくもないが、でもしっかりと、「これは間違っている」と言いたい。

 

「トランス女性」は、自分の身体性(男の体)に違和感がある、性自認は女性で、「女性として生きていきたい」と思っている人を指す。

身体性が性自認と違うというのは、自分事として想像しただけでもつらいことで、その当事者の生きづらさは計り知れない。そんな人たちが性犯罪者になんかなるものか。混同するでない。

トランスジェンダーのことやLGBTのことを深く知らないから不安に思ったり、拒否反応を示しているって人も結構な数いると思っています。

 

悪いのは「トランス女性に成りすまそうとする性犯罪者」であって、トランス女性ではない。だから、トランス女性の生きたい生き方を制限しようとする意見には、私は反対したい。

 

性犯罪のリスクを下げたいなら、「どうやったら性犯罪を防ぐか」や「性犯罪の罰則を重くしよう」みたいなことを考えるべきで、「リスクがあるからトランス女性はダメ」というのは、おかしな話だ。

だし、世の男性諸君はもっと怒っていいと思います。間接的に性犯罪予備軍扱いされてますよ。

 

(余談だけど、この手の話はよくある。たとえば「障がい者等用駐車区画利用制度」の話をするときに、「障がい者本人に許可を出すと、許可証を又貸しして悪用される可能性があるから、車両に紐付けるべきだ」という意見も出た。でもこれも悪用する人が悪いのであって、そのリスクのせいで利用者が制限されるのはおかしい話です。)

 

(そしてさらに余談だけど、「女性に性的欲求を持つ」という人は何も男性だけではないので、すでに女性スペースで共に過ごしていると思いますよ!なーんて私は思うのです。それから、今回何で「トランス男性」について触れている人が見えてこないのかも、考え始めるとおもしろそうです。)

 

「何をもってトランス女性とするか」、「性自認」という目には見えないものをどうやって信頼するか。トランス女性にもいろんな人がいて、性別移行をするお金がない人だっているし、「トランス女性のクロスドレッサー」だっている。「トランス女性のレズビアン」だっている。私みたいに「性自認が女性ではない女体ユーザー」だって、すでに女性スペースに居るのです。(私は気まずくて多目的スペース使ったりもしてます。)

 

私は、こういう課題は長い時間をかけて啓発したり、話し合ったり、ルールを決めたり、予算を投じたり…と、すごく長い道のりがあってどうにかなるかならないかだと思う。

現時点、この先少なくとも10年くらいは「トランス女性は女性だけど、シスヘテ女性(とも自認していない人たちが多数の社会においては)とは同じにはなれない」と思ってしまいます。

だから、丁寧に丁寧に、向き合ってくれる人とは向き合って、啓発を続けていきたいと思っています。

…と、私に言えるのはこのくらいです。情けないですが。

 

 

以下は私の自分語りにはなってしまうけど、私自身は性自認を定めていない「トランスジェンダー」の1種です。だから「本当の女性しか女性スペースを使うな」と言われたら、私もはじかれてしまう。

 

そして、私は周りからは「女性」として扱われてきて、学校や職場での男性からのセクハラは当たり前のように体験してきたし、男性からも女性からも性的欲求を向けられて怖い体験をしたことがある。そういう意味では、女性スペースであれ共用スペースであれ常に危険で恐ろしくて、「一人じゃないなら安全ではない」とさえ思う。

 

余談だけど加えてこの貧困の世。公衆トイレで盗撮をするのは何も男性だけではなく、「何の障壁もなく女性スペースに入れる女性が、女性を盗撮して売りさばく」なんてことも、絶対にあると思っている。ただでさえ自分の性を売り歩く人は多くて、そうでないと豊かに生きていくのが難しい状況なのだろうと思うと、胸が苦しい。

私だって、お金がなくなればブルセラにでも登録しようかと思うほど、「性を売買する」ということが身近にある、大変な世の中です。

 

「トランス女性は女性です」が、これだけ多くの人(これまでLGBTなんて知らなかったであろう人も含め)に注目されているのは、「トランス女性が女性かどうか」以外のことも含め、とてもとても大きい話になっているからです。

私も自分のことを考えたり、自分の性被害のフラッシュバックまで起こしちゃって、「トランス女性は女性かどうか」のことだけをまっすぐに考えて述べることができずにいます。きっとそういう人もたくさんいるのだと思います。

こういう状況を見て、「そうじゃない!」と思う人もたくさんいるはず。申し訳ない。ゆっくりゆっくり、ひとつずつ考えて発信していくので、もう少し辛抱させてしまうかもしれないです。