死生観

叔父が自死した時のことと、この出来事を思い出して考えたこと。

 

叔父は物置の片隅で自死を選んだ。選ばされた。

「自分で死んだ」「自分を殺した」と字では書くけど、自死遺族の会などが言い続けているように、いろんなものに追い詰められて、死ぬことを選ばざるを得ない状況だ。叔父もそうだった。

 

叔父とは特別仲が良いわけではなかったし、叔父の子ども(私からすると従兄弟)とも特別仲が良いわけではなかった。大人の事情は知らないが、おそらく周りの反対を押し切って結婚したのか、向こうの家と相性が悪かったのか。疎遠のような感じだった。

 

そんな叔父が離婚して実家に戻り、私の実家の隣・祖父母の家に戻ってきた。

ポテチとコーラの骨粗しょう症、透析が必要なほどの糖尿病、職を転々として、レモン市場で掴んだ車をしょっちゅう乗り換える。これに加えて、今思うとギャンブルにも行っていたんだろうな。

 

ま、申し訳ないがここまでだと「疎遠にされても仕方ねぇ」「嫌われても仕方ねぇ」と思う気持ちはある程度わかる。実際、甘ちゃんな祖母(叔父からすると母)が甘やかしていたくらいで、祖父や他の親族からは縁を切られたような感じだった。

 

が、私はどうかというと、大人の事情はわからかったし、お金を取られたわけではない(うちの両親はもしかしたらお金を貸したこともあったかも)、わからなくて結構だったので、別に叔父のことは好きでも嫌いでもなかった。ただ「糖尿臭いからなんとかしろ」「寝ながらメシを食うな」とかそういう注意はした覚えがある。

 

孤立した叔父。見る人からしたら自業自得だけれど、私はやっぱり、叔父が孤立しているのは納得がいかなかった。だって、甘いものもギャンブルも中毒性があるもので、本人が怠惰しているだけが原因ではないし、レモン市場から抜け出せないのは誰も教えてあげないからだ。どうかんがえたって”おとな”じゃないのに、「当たり前に大人だ」、「そのうえであんなにだらしない」とされていた。

なんとなーく違和感があったのに、(倍近く年の離れた小娘からフォローされても気まずいか)と、放置してしまったのが、今でも心残りだ。

 

そうこうしているうちに私は大学へ進学して、叔父の話も他者に聞かないと知れなくなった(しかも、聞くと家族は不機嫌になる)。

そして、その間に叔父はどんどん孤立して、怒られたり、精神論をぶつけられたり(おそらく家族からも、やっと就いた職場からも、病院の先生からも、世間からも。)して、精神を病んでしまった。助けてくれる人はおそらく1人もいなかった。

 

それでも、私が知っているだけでも2度、SOSはあった。誰がどう見ても聞いてもヤバい、どう考えても重大で明確なSOSだった。それでも、誰も助けなかった。そして、叔父は死んだ。

 

 

殺したのは私であり、叔父の家族であり、私の家族たちだ。自死に追いやったのは私たちだ。と、私以外の人間が思ったかはわからないが、私はもうあんな思いはしたくない。

「勝手にやれ」「知らない」「関係ない」「よそはよそ」と言うのは簡単だ。関わり続けるよりもよっぽど簡単だ。ゴミをゴミ箱に捨てるより簡単だ。そしてそれは逃げだ。簡単なひとつのアクションで、人は殺せる。

 

誰も助けてくれない環境下で、自分で出来ることを考えて、これ以上迷惑を掛けないように、自分の人生を終わらせた叔父。誰かが居てくれたら、絶対に違う道があった。歳が倍以上離れた姪っ子にだって、絶対にできることがあったのだと思う。悔しい。

 

 

今、私の周りには希死念慮を抱えている人(自分も含めて)や、孤立している人、孤立したがっている人(逃げるのはより簡単だからね)、どうにも逃げ出せない人がたくさんいて、全員が死に向かっている。

いや、全員もれなくいつかは死ぬんだし、自死したいなら止められない。だけど私は私が後悔しないために、出来るだけ関わり続けることをやめたくない。

縁を切られても結構、嫌われても結構だけど、私からは終わらせない。私は殺人には加担したくない。申し訳ないが、私の純粋な自己満足のために、これからも死にたがり各位との関わりは続けさせてもらう。

孤立したきゃして結構だけど、後々しんどくなったとて「自分で決めたことだから…」ってウジウジ孤立し続けるなよ。別にこっちは何とも思ってねぇわ。のスタンスを取り続ける。