講演内容の素描・考えたこと色々

大学のゼッタイおもろいヘンな授業にお呼ばれしました。ゼッタイおもろい、そしてヘン。社会学系の頭の中がひっくり返るヘンテコなものとの出会いの連続、疲れるけど好きです。

今さっきその授業の録画を観て、自分はどんな風に話そうかな~の素描をここで始める。

 

オファーをいただいたときのキーワードは「マジョリティの特権性」。これには本当に悩まされ続けているから、この機に胃を痛めに痛めて言葉にしようと思う。

 

私の肩書きややっていることは、はっきり言ってまとまりがない。移動図書館に講演に学童、普段の仕事は別にあって、最近行けてないけどカフェにも籍があって、今度から駄菓子屋をやりたいとか言っている。

私が「何者であるか」なんて、もっとまとまらない。言葉にできたもんじゃない。

「”カテゴライズ”をやめた」と言えば、私はしっくりくるけど、おそらく他の人にはピンと来ないのだと思う。

 

私が「カテゴライズをやめた」理由や道のりを説明したら、なにかしら伝わるだろうか。以下。

 

私が今こうなっちゃった大きな要因は、”LGBT”という言葉との出会い。

それまではなんとなく、「恋バナについて行けない」「同人誌の同性愛描写に安心感を抱く」「スカートが嫌」「ランドセルが嫌」というような、(まぁそんな人もいるんだわな、”十人十色”って言うもんね)と諦めていたようなことのひとつひとつが、”LGBT”という言葉に出会った瞬間、バッと合点がいった。

「フツウじゃない世界があり、自分はフツウではない側かもしれない」と自覚した時に、晴れやかなような、楽しみなような、寂しいような、ヤバいことに気付いてしまったような、とにかく混乱したのを覚えている。

 

「自分はフツウじゃない説」が浮上して、いろんなことを考えて、勉強して、仮説を立てて実験してみたり、嫌になって投げ出したり、フツウになろうと矯正を試みたり、それに失敗して嘆いたり、死にそうになったり、やけくそで講演を始めたらなんか出来ちゃってワーイとなったり、とにかく色々。早15年。

 

 

その「とにかく色々。早15年。」をもっと詳しく、大きそうな出来事を取り上げてみる。

 

1つは高3の時、自分が過去に性的虐待を受けていたことを急に思い出したこと。ホント突然。「これで性が歪んだのかも」と思い当たったけど、思い当たったところで今の自分が変わるわけもないし、過去のクソな事のせいで今の自分があるなんてキモすぎるので、考えるのをやめた。

ゲイ描写の漫画を安心して読めたのは、ヘテロセクシュアルが普通の社会において、女性性を持って生きる自分がターゲットにならない世界線だからなのかもしれないね。

そして、こういう体験があったから、性暴力被害者支援員になろうと養成講座に通っていたこともあった(フラバがひどすぎてやめた)。学童保育は「子どもは何が何でも愛されるべきだから」やっている天職だ。

 

2つめは、自分のマイノリティ性のせいで生きづらくて今も「死にたがり」だけど、マイノリティが1人死んだところでマジョリティは気付きもしないだろうなという絶望で、死ぬに死ねないこと。そしてそれが活動によって慰められると気付いたこと。

死ぬ気でやればなんでも出来る。明日死ぬかもしれんなら、自分の半生くらい語りまっせ。どうせ死ねないなら、より良い老後を作ろうかな、というくらいの動機で講演をやっています。

活動を始めたころは”承認欲求の塊”たる活動ぶりで、本気でやればやるほど、テキトーに聞き流されたときのダメージもデカく、すぐに折れました。

いま「なんで活動できるの?」って聞かれても、「さぁ?」としか言えない。あえて言葉にしたら「ワンチャンいい未来になるかもしれんから」「活動のストレスで寿命削りたいから」みたいな、死にたいか生きたいかわからない理由の同居になる。

 

そしてもう1つは、他のマイノリティが他人事に思えなくなったこと。

女性性の被虐待児、かつLGBTを自覚した時、テレビが観れなくなった。ジェンダー規範が怖い、女性性で生きていくことが怖いと思うようになった私には、性犯罪のニュースや誇張された恋愛ドラマ、ジェンダー観の根強いCMは凶器そのものだった。

そして、虐待のニュースなんかは特に、貧困、DV、依存症、障がい、社会制度の隙間も相まって、なんかもう全てに無力感を抱いた。そして他人事とは思えなくなった。

幸せな子ども時代を生きたかった、幸せな家庭に生きたかった、あるいは、マトモな大人に出会いたかった、助けてほしかった。このあたりが、学童や他のマイノリティ支援のアレコレに活きてくる。

あいサポーターしかり、認知症サポーターしかり、性暴力被害者支援員(挫折)しかり、音訳ボランティアしかり、人権教育推進員しかり、講演活動しかり、こども食堂スタッフしかり、居場所作り活動しかり。

 

マイノリティ性はいろいろあれど、結局の根本は多分一緒だ。言葉はヘンだけど、「”マイノリティ性を持つ人”は、別にマイノリティじゃない。」

マイノリティ性をマイノリティにするのは、社会とか身の回りなのだと痛感している。これが、「障がい者の人権問題」を勉強していた時に知った「障がいの社会モデル」という考え方を知ったときに、どっしりと、自分の根本になった。

 

そして最後に、こう色々ある人生を送ってきた私(書ききれてないけど機能不全家族育ちだし、いじめ→保健室登校経験者だし、非正規雇用だし…って皆も人生いろいろあるよね)だからかは知らんが、私は”正義マン”であり、最近話題の”HSP””繊細さん”でもある。

いろんなことに気付き、ダメージを受け、心を痛める。そして不和は解消したいし、サンドバッグになって解決するならなりたいし、寄付はしたいし、間違っていることには間違っていると言いたい。

部落問題や障がい者差別や性産業に従事する女性への搾取の問題や、いろいろなことに腹が立ったり悲しくなったりやりきれなくなったりする。そしてそのたびに、”当事者”じゃないから、動ける、動く。考え、発信する(出来る限りだけど)。腹は立つけど傷付きはしない、傷付いた人の分まで声をあげたい。これも大きな動力だと思う。

 

 

「頼むからさ、協力して頂戴よ。私たちが何をしても、少数派は少数なんだから、多数派が仲間になってくれないと多数決では負けちゃうのです。どうよ、マイノリティ達はみんな死にそうなわけ。動けるのが鳥取では私しかいないわけ。どうかどうか、協力してよ。”当事者”じゃないなら、死にたくはならないでしょ?まずは知るところから始めてよ。」と、講演の最後には頼むのです。