「たくさんの選択肢を見つけてね」「たくさんの中から『自分はこれ』を見つけてね」

私は決して勉強好きというわけではなかったけど、「新しいことを知る」のが好きだった。今もアレコレと手を出して、合わなきゃすぐ辞めるけど、イイナと思ったら続く。ので、多趣味だったりするのだけれど。

 

講演会をするとき、最後に「たくさんの選択肢を見つけてね」「たくさんの中から『自分はこれ』を見つけてね」と伝えています。

 

私は年中さんからの性虐待被害者で、自分が「そう」だと知ったのは、中学の頃くらいだったか。海外みたいに、もっと小さい時から性教育があったら。子どもの少ない語彙力でも察してくれる大人が身近に居たら。もっと私が勉強していれば。…などなど、今更どうにもならんことをよく考える。

 

小中高ではいじめに遭った。この時は、いじめを扱った漫画やドラマが多かったし、たぶん「フリースクール」の出かかりみたいな時期だったのかな。だから情報はたくさん持っていて、上手く逃げたし、時には戦ったし、「公に頼る」みたいなこともできた(保健室登校とか、スクールカウンセリングとか)。

 

家族事情でいうならば、小さいころから「自分がどう立ち回ればこの家庭が最適な方に回るのか」みたいなことを本気で考えていた。なんでだろうね。よくよく考えたらそんなに小さい頃ならそこまで家庭に影響を与えられるものではなかろうに。いや、それくらいギリギリだったんだろうか。

当時は「家族がバラバラになるのを阻止しなければ」と本気で思っていたので、国公立大学に入って、どこかの正社員になってバリバリ稼いで、実家に仕送りして、25,6歳で結婚して、両親を祖父母にしてやらなければと計画を練っていた。

今と真逆でウケる。

 

18歳で地元を離れて、はじめは家族の許可を得ないと洋服1着買えない依存ぶりだった。

だから、大学の同級生がポンポンと親の許可なしで外食して、友達の家に泊まって、県外に出かけて、アルバイトを始めているのを見て、半年くらいは「?!」「?!?!」「!!??!?」の連続だった。

私も彼らみたいに「自分で決める」をやっていいんだ、と気付いたときには、冬が近かったなぁ。

 

 

私が話すことや発信することを受けて、「へぇ、そんなこともあるんだ」「そっか、こういうやり方もあるんだ」というのが見つかったらいいな。

それで、それを受けて「自分はこれ好きだな」「別何とも思わんな」「これはちょっと嫌いやな」とかって、自分で取捨選択してみてほしい。それだけでもう1つ分「自分を選んだ」ことになるんだと思うから。「選択肢が見つかった」ことになるんだと思うから。

 

「私をわかってくれー!」なんて言うつもりはない。「私はこう。あなたはどう?」と、語りかけるものでありたい。