ゆるしか図書館拡大アナウンスまとめ
アナウンスのツイートが溜まったので、ここで1回まとめます!
まずは基本情報から。(飛ばす場合は赤文字のところから読んでください!)
2022.3/19〜21(土日祝)
「女手ひとつ」の気持ち。
今週末のイベント「ゆるしか図書館」のことを新聞に取り上げてもらいました。:5年ぶりLGBT成人式 なりたい自分への一歩 | 日本海新聞 Net Nihonkai (nnn.co.jp)
そしたら、テレビ局何社かから取材依頼をいただきました。
新聞、私は買ってまで読まないし、私の周りの人もそんな感じだけど、そりゃ読む人も多いわな…!
なんとなく、ミラクル朝市の延長の、”身内感”な頭だったところへ、一気に”不特定多数”の文字がチラついて、ビビりはじめました。笑
これまで活動をしてきて、「子どもを産む気がないなんて親不孝だ」とか、「なんで両親に話さないの?両親はきっと力になりたいと思っているよ」とか、「若い女の子なのに活動していてすごいね」とか、殴られるより痛い言葉をいくつも受けてきた。
「美人、素晴らしい、お力になりたい、車でもなんでも出します」みたいな人とか、「活動しているなら、○○党は嫌いでしょ?/好きでしょ?」みたいな人とか普通にいるし、隠し撮りされたり、出さないでって言ったのに本名出されたりもする。
まぁ自分が活動してるんだから仕方ないか、と思いつつも、やっぱりちょっと悲しい。
私が、社会的に”男性”とされる世界線だったら、こんなことになったんだろうか?とも考えてしまう。そしてまた悲しくなる。
考えすぎなのかもしれないけど、上記のような人たちに対応するときの私は、ニッコリとして、ウンウンと頷きながら最後まで傾聴して、あまつさえ相手の手まで握らんばかりの、対応をすると思う。私はこれを”ホステス田中”と心の中で呼んでいる。
ホステス田中は、もうありとあらゆる自分の中の窓をピシャンとミッチリ閉めて、目の前の人のご気分を害さないように努める。そうしないとLGBTというもの(活動している内容そのもの)に悪影響が出かねんからね。
女性性なんてもって生まれたくなかった。…ではなくて、男性性がトコトン有利な世界に生まれたくなかった。あーあ。溜息しか出んよ。
ちょっと話逸れた。
言いたかったのは、今回新聞に載って、めっちゃ有難いし嬉しいし、興味を持ってくれる人が増えるだろうからヤッターなんだけど、イベント当日に”不意打ち”を食らわないように、気を抜かずにいる必要が出てきた、ということ。
杞憂に終わってくれ~~~
でも、もちろん「誰でもええやん」「なんでもええやん」なので、どんなヘンテコな人(失礼!)が来てもOKです。そして、参加者の安全を守ろうと全力で努力します。
例えば、大酒飲みの酔っ払いが来て、「男と女のラブベェムってもんは生物として当然の%’#%!*>??…!!!!?」みたいな、よーわからんこと言ってたら、すぐさま私が飛んで行って「へいへい何飲む?酔っ払い!酒を飛ばすにゃお天道様よ」とか言いながら外の休憩スペースに運び出します。
あとは参加者さん個人個人で(あっこの人苦手かも…)とか、(なんかこわいかも…)とか、色々出てくることもあるかもしれない。自分でどうにも出来そうにない時は、何なりと言ってきてくださいね。
あぁ、書いてたら構える準備ができてきた気がする。
がんばるぞ!耐えるぞ!参加者を守りつつ「なんでもええやん」の場も守るぞ!
気持ちを保つ効果があるので、noteとほしいものリストを貼らせてください(余裕がある人は記事読んだりしてください)
ではまた。
団体と聞くと思い出すン苦い記憶
おつかれさまです。
ここ数ヶ月で「虹色らくだ」「屋台部」に復帰して、久々の団体行動をしています。サークルというものを思い出しました…数々のトラウマが…泣
過去のことは過去、でも同じことしてしまわないように、反省。
過去にアニクライベントのスタッフをしていた時にも同じようなことを悩み考えてた。だから何も屋台部、虹らくに限ったことではないんだけど、やっぱり「任意団体」かつ、大会やコンクールみたいな「目標となるもの」が無いのって、運営が難しい要因なのかなと思う。
モチベーションが続かなかったり、活動してないと在ったことすら忘れられたり、「誰かがやるなら、まぁ、やるよ。」みたいになっちゃったり。
1つの定まった目標とか指針がないから、「なんで入ったの?」「なんで居るの?」「なにがしたいの?」に対する答えがバラバラだったり、そもそも答え自体を持ってない人も居たりする。
もちろん、そんな人たちもひっくるめて「なんでもええやん」「居ったらええやん」と寛容なところが任意団体・サークル(NOT部活動)のいいところだと思うし、それは
残しておきたい。
でも、あんまりにもなぁなぁで、人任せな人ばっかりだと、仕切る人は疲弊してしまう。
幽霊部員は見ないことにするのか、幽霊部員にも機会を用意するべきか、その機会もまったく無視される可能性だってあって、そうなると、やさしくするにも限度がある。
…と、大学生時代(3年で卒部したのはもう5年前?!)にはそこで行き詰ってしまい、結論が出せなくなって、虹らくを卒部、卒業してから「feelgood」に所属するまで、2年くらい間が空いてしまった。
屋台部はもともと活動が減ってきていたから、卒部後は年に1回、用瀬の野点スタッフで関わるくらいになった。
団体を仕切る。誰かを動かす。全然簡単じゃねぇ。
「やりてぇのかやりたくねぇのかハッキリ言え!」とか、「スタンプ1個でも返せ!」とか、「既読もつけんなら辞めてまえ―――!!!!」とか、とにかくむちゃくちゃに腹が立ち、(でも気分が乗らん日もあるしな…)(メンタルきついんかもしれんな…)とひとまずのアンガ―マネジメント?に成功するも、いざイベント当日となるとひょっこり顔を出して満喫するようなのを見かけると、張っ倒しそうになってしまう。
私はきっと、先に書いたような「寛容な」任意団体・サークルの仕切り役は務まらん!
…ということで、ひとり活動をしているのです。多分。
結論は全く出ん。けど、他者に「やる気出せやァ!」って喝入れるより、自分の中で上手いこと諦めたり、妥協できるようにトレーニングしていく方が現実的かなと思う。自分のためになりそうだし。
と、同時に、やっぱり言う時は言わなきゃ、とも思う。言えるのは私だ、とも思う。来たるべきときが来てしまったら、「しっかりせぇや」って誰かが言わなきゃな。
やっぱり難しー!ひとりがいい…。
なんもまとまらんかったけど、書き置きます。ではまた。
近況のご報告。_団体のこと、3月のイベントのこと_
先日新聞社の記者さんとお話をしてきました!
「取り上げていただいた」「取材して頂いた」がなんかしっくり来なくて「お話してきた」です。笑
インターネットでも閲覧できる記事だったら後日シェアしまーす。
この記者さんとお話するのは2年位ぶり3度目でしたが、
・田中の経歴の整理
・虹色らくだは今どうなった?の整理
・ゆるしかの活動について
・今度やる「ゆるしか図書館」について
・今後の田中の生き方、仕事、ゆるしかの活動について
みたいな感じで、広く深く色々話しました。
毎度のことながらすっごくとっ散らかってしまい、今頃記者さんは頭を抱えていることでしょう…申し訳ねぇ
記者さんと話してて書かなきゃ!と思った、最近の事情をご説明。
「ゆるしか」が今後どんな感じになるのか、ちょっとわからないところです。
もともと、前身の団体が無くなったことで急遽作った団体もとい屋号で、メンバーは私と、スタッフのひろさん(パートナー)です。で、今後メンバーを募るかと言うと、私が力不足なのでちょっと…他の人に託したいです←
虹色らくだに託します…!
ということで、「虹色らくだ」に復帰しました。
「鳥取大学学生サークル虹色らくだ」は”公式サークル”ではなくなり、ついでに”鳥取大学学生サークル”でも無くなっています。
「虹色らくだ」という名前は残して、学生/社会人・鳥大生/他学生…の垣根をなくした団体になる、準備中です。
活動内容やら団体のねらい?的なものも、話し合い中という感じ。
虹色らくだが安定したら(何をもって安定とするかはわからんが)、ゆるしかもいよいよ必要なくなるかもです。
その時は移動図書館「ゆるしか図書館」に残していこうと思います。
今度のイベントは、虹色らくだにも屋台部にも声を掛けていますが、やっぱりとっちらかった何のイベントかわからんイベントなので、リアクションが皆無です。笑
申し訳ねぇ!
ひとまずおいでよ~。合わなかったら「おい!交通費出せ!!」って言ってもらえれば出すよ。
なんでも好きにやったらいいやん、なんでもアリよ。を体感できる場を用意する予定です。イベントも、団体も。
少しずつアナウンスしていくので、見てやってくださいね。
ではでは。
愛すべき景色【ミラクル朝市編】(続きものおわり)
前回から続き。
”さんぽ市””野点””じんじんさん”との出会いから6年くらい後からお世話になっているのが”ミラクル朝市”。
元パーマ屋さん(空き家)、現…シェアハウス兼カフェ兼スペース兼図書室兼ディスコ?なんかよくわからんけどとにかく思いつくものはなんでもできそうな場所「喫茶ミラクル」で月に1回開かれる、思いつくものはなんでもできるイベントがミラクル朝市。
実は3年くらい前に1回遊びに行ったことがあって、ずっと「なにかしたいなー」とは思っていたけど、やりたいこともやれることもわからず、ウンウン唸り続けて去年の11月、ようやっと出店する勇気が出ました。
出店に際してのルールとかも特になく、ラフスケッチみたいな出店内容にも「いいね!」と言ってもらえたのはありがたかった。
”野点”は、野外(扉がない状態)なのに対して、ミラクル朝市は「喫茶ミラクル」というハコありき(野外でもやろうよって言ったらOK出そうだけど!)で、”扉がある安心感”もあるんだなぁと感じた。
私はこれまた、「みんなにやさしい=扉を無くすこと」と頑なに思い込んでおり、扉があって安心、なんてあんまり考えてこなかった。
ミラクル朝市においては、扉の有る/無し、重い/軽い、見える/見えないが本当に人それぞれで、緊張している人も居れば自分ちの玄関みたいな人もいる。そして、行き来自由。扉はあっても閉じ込めるための扉ではない。安心だ。
ミラクル朝市については、まだ数か月のお付き合いだから、言葉にするのは難しいことも多いんだけど、毎月なにかをやって、何人かに「いいね」と言われ、何人かには特に何も言われず当たり前みたいに存在することができて、「よくないね」と思っていたとしても、口に出す人はいない。有難い空間です。
ミラクル朝市に居て、出店者さんや常連さんと話していて感じることは、「何かをはじめるときに、それがすごいことじゃなくてもいい」ということ。だからのびのびやってます。
多分、ミラクルがなかったら、ゆるしか図書館やってないし、あっても大真面目に「LGBT関連書籍だけ」の、なんか狭い感じになってますます近寄りがたい雰囲気かも。
今やってるみたいに、いろんな本がある方が好き。LGBTとか、性教育とか、発達とか、政治とか、思想とか哲学っぽいこと、ジェンダーとか価値観とかいろいろ。
専門性がなくて申し訳ないけど、でも結局どの本を読んでいっても全部の本に繋がりがあるような気がしてきちゃって、境界が引けないのよ。笑
でも、それも「おもろいやん」ってなってるので、いい。
さんぽ市、野点、じんじんさん、ミラクル朝市との関わりとか、これまでの体験・仕事(お役所仕事は特に)とかも含め、フリーターの今、これからどうしていきたいか、大いに悩む。
なんか、現時点では思いっきり就活してて、雇われに戻る流れになっててウケるんだけど、まぁそれはそれで、人生や夢が決まるわけじゃない。
カフェなり、シェアオフィスなり、シェアハウスなり、ルームシェアなり、いのちの電話なり、シェルターなり、子どもの預かりなり…やりたいことはてんこ盛りで、それをどういう形にするのか、しないのか?自分がするのか、他者を手伝うのか?1つの拠点をドンと据えるのか、身軽に出没するのか?ほんとうに色々。
愛すべき景色たちと、愛すべき人たちと関わり続けながら、なにかしらどこかしらのタイミングで決まっていけばいい。
人生100年、あと74年もあるもんね。ぐえ。
愛すべき景色。【用瀬さんぽ市・野点・じんじんさん編】
私が喜々として語ることがある”用瀬さんぽ市””野点””ミラクル朝市”の景色について、なんとか文章にしてみようと思う。
一言でいうと「なんでもええやんの場」って感じなんだけど、それじゃあ説明にならないしな!笑
(でもひとまず自分語りからさせてほしい。)
私は”よく気が付く人”(後述するけど長所でも短所でもある)だ。今風に言うとHSPとかそんな感じもある。
私はなにかしらの運営サイドで参加すると、事前説明の段階でとにかくメモを取りたがり、1から100まで覚えたがり、当日も準備から片付けまでとにかく「仕事は無いか、仕事は無いか」と探し回り、いろんなものを体にひっつけ(輪ゴム、養生テープ、マッキー、紙、クリップ…)、手話から要約筆記から英語、ボディランゲージを思い起こし、110番、119番、心肺蘇生の手順を復習し、有事に備え、とにかく、あらゆる人・ことに対応しようとしてしまう。
勝手に、全自動でそうなっちゃうんだけど、正直すごく疲れる。
備えあれば患いなしなのはそうとしても、そっこまで考える必要はきっとないはず…ということもないけど、とにかく、脳内の”実際に必要なタブ”よりも”予備のタブ”がたくさん開いていて、動作が重くなる。これが私。
そんな私がいる前提で、先記のイベントたちの話。
私が初めて衝撃を受けた”用瀬さんぽ市”と”野点”。
こちらは、用瀬のまちなか全体をマルシェ化して、オモロイ地形のあちこちに、各店主それぞれが「ここがいい!」と思った場所にお店を設置。まちあるきイベントとマルシェと地域活性が同時に進むおもろいイベント。
数年前に出店した時は、人んちの土地に交渉もアリで、「草刈りしたら使っていいよ~」みたいな会話もあって、なんかよかった。(数年たったことと、ここ2年はコロナで規模縮小しているから次はちょっと変わってるかもだけど。)
そして、さんぽ市と並んで”野点”。
野点は、陶芸家のきむらとしろうじんじんさんという人がやっている催し。毎年秋・春あたりに全国各地を回って「お茶碗の絵付けしてもええし、できたお茶碗でお茶飲んでもええし、じんじんのお茶碗でお茶飲んでもええし、眺めててもいいし、写真だけ撮ってもええし、なんもしなくてもええし」みたいなのをやっている。
「なんでもええやん」「おもろいことやろう」みたいな空気の発祥はここから。
無駄なことや変わったことをしようとして「ええやん(≒OK)」がもらえるのは、子ども時代を含めてもここくらいだったんじゃないか?と思う。
もともとの私は割と行政的というか、理論理論順序でやってきた。
最初にやった屋台(たぶん2016?)は、意義とか、需要とか、競合他社の研究とか、話題性とか(?)色々考えた挙句に行き詰まり、結局「アクセサリーの屋台をひきながら歩く」やつだった。
そこから数年関わって、たくさんの”なんでもええやん成分”を浴びて、ラフにざっくりやった去年の屋台は「ブルーシートの上に家のラグとこたつを置く屋台」でした。あとはこたつの上に焼き菓子ちょっとと、「ご自由にお持ち帰りください箱」を置いとくやつ。折り紙とか小物入れとか、結構旅立ってくれました。
本当はミニテントとハンモックも置くはずだったけど、家に忘れてきました。あほ。
誰が来るんか知らんし需要もあるかもわからん、感染対策上もビミョーなイートインスペースだったけど、「いいんじゃない?」判定がもらえたのでやってやりました。ちな好評でした。
そして”じんじんさん”。
じんじんさんの話は特に、実際の姿だけを書くのが難しくて、主観と好きさも混同してるけどごめんやで。
じんじんさんは見かけ2mのドラァグクイーン、口調は優しくて、お茶目。語らせたら止まらない、でもめちゃくちゃ空気読める、読めすぎる人なんだと思う。
たまに言うジョークに周りがヒヤッとするんだけど、じんじんさんが笑ってるから、みんなもジョークだとわかって、一緒に笑う、みたいな。
それが気に食わなくて受け付けない人もいるんだと思うけど、それがじんじんさんに見えていたって、じんじんさんは多分「自分が自分であることをやめない」と思う。
それまで「できるだけ浮かないように」「なるべくたくさんの人に無害でありたい」と思っていた私にとっては、じんじんさんはビッカビカの原色。派手。やかましいくらい。
(そんなに色出ちゃってたら誰かに嫌われちゃうよ~~いいの?いいの??)と勝手にハラハラしてたけど、じんじんさんはヤンキーから遠巻きに盗撮されていても、子どもたちにからかわれてもしっとりと笑っていて、それがすごくかっこよくて綺麗。
そして、毎年毎年来ているうちに遠巻きのヤンキーがツーショットを撮りにきたり、子どもたちが「あ!じんじん!○年生になった!」みたいな話をしにきたりして、私も私で「じんじんさん聞いて―」って話したくなったりして、じんじんさんを好きになってる。
私はこれまで、気が付けば気が付くほど身動きしにくくなっちゃう感じがしていた。けど、気が付くのはそれとして、「どこまでを気付いたことにするか」とか、「どこまでが(自分らしさを崩さない程度に)必要な気付きか」みたいなことを考えるのが大事なのかなーとか、じんじんさんを見てて思った。
じんじんさんは、今はいろいろ考えてああいう色でいて、これからも変わっていったりする、変わらないところもある、もしかしたら限界が来ることもあるかも…とかって想像してしまう、人間臭ーい人。
その姿を見てしまえば、無味無臭で居たいなんて思うのはおもんないな、と、本当に思ったのでした。
つづきます!なんかめっちゃ長くなってごめんね!
”あやしさ”を減らすためには?__私はアマゾンの奥地へと向かった__。
お久しぶりの知人にランチに誘われたので、いろんな意味でワクワクしながら行ってきた。さっすが引き寄せの田中!宗教(仮)のお誘いでした。
「見たらわかる」「言葉には表せないけど本当にすごい」「みんなに知ってほしい」「心が軽くなる」…等々、私の大好物の言葉が並ぶ。
教義(?)的には、「本当の本当に、”いのち”を理解する(重さ、壮大さ、尊さ…今ある言葉では表現し足りない)ということが、今の生活を変えることにつながる」みたいな感じらしい。
来週セミナーを受けることになったので、行ってきます。楽しみ。
私が今お世話になっている「ミラクル朝市」も、年1の用瀬の「さんぽ市」や「野点」も、正直どうおすすめしたらいいかわからなくて、でもおススメはしたくて、「来てみたらわかるから!」とか、「なんというか…好きなんだよ!!」とか、そういう言い方しかできていない。
説明すればするほど”その手の熱狂的さ”が出てしまって、本質と外れていく感じがあるのが悩み。
そんな時に丁度今回のセミナーのお誘いがあったので、彼らの話を聞きながら、宗教(仮)と私が作ろうとしているものの類似点・相違点なりを考えたり、共感したり、取捨選択したり、観察したり、いろいろして来ようと思います。
ニートのくせになんかローン組んで物買って来てたりしたら、殴ってでも止めてくださいね。笑
ちなみに、今度のイベントは宗教色のある人、何かしらの信条がある人を排除しません。
それと併行して、自分の信条を押し付けるのはやめてましょう。「押し付けられた!」と感じた場合は、「NO」と言ったり、逃げたり、田中に助けを求めましょう。
「誰でもなんでもええよ。」「何言ってもしてもええよ。」な空間を守るために、ルールはみんながしっかり守れるように、ゆっくりがんばりまーす。