案じつつ産む(?)

交流会をするかしないかウンウン唸り始めて1,2週間。
「案ずるより産むが易し」という言葉がチラついて、「いやいや案ずるに越したことはないだろ。というか、案じずに産むな!」って、だんだん言いたいことがズレていくのを感じたので、考え直すことにしてみました。
で、「案じながら、産む」になりました。

プライベートでも「案ずるより産むが易し」という言葉がめちゃくちゃ怖かった原因がやっとわかったわ~。
なんとなく「案ずるより産むが易し」のあとに「(思考停止)」がついて見えていたのね。「案ずるより産むが易し!(思考停止)」って…笑
だからこの言葉が後押しになることが無かったんだ。「産むが易し、じゃねーよ。」って話よな。産むのも大変だわ。

というわけで(?)交流会的なもの、案じつつやってみます。

といっても私の出来る範囲なので制限もたくさんあって申し訳ないんだけど…。あえて言うと私主催のオフ会、みたいなことになると思います。


詳細は過去記事とそう変わらないけど、整理して書きなおしますね。
ではまた。

3日前に書いたやつ。交流会の素描…的なもの。

交流会の素描(やるかどうかはわからない。の前に誰かこのブログ読んでくれている方いるんでしょうか…!)

「交流会」とは言わないまでも、なんかそういうことをはじめようかなと思ったんだけども、丁度よい機会があるじゃないですかおま。
1月25日(土)、県庁講堂で性的マイノリティ(LGBT)研修会ってのがあるんですよね、県主催の。講師は「カミングアウト」「新宿2丁目の文化人類学」「カミングアウト・レターズ」の著(編著)の砂川秀樹さんです。
過去に一度講演を聞いたのですが、やわらかく面白くお話される方だなぁという印象です。

(あ、申し込み締切1月17日までだ。空きがれば当日受付もできるみたいだけど、予約しとかないと。)

これに乗っかって、なんかしようかなぁ。と思いついたぞ、わたしゃあ。

一部:ランチ会(お昼食べる、二部行く人は一緒に行く)
二部:聴講(近くで研修受ける)
三部:お茶会(終わった後お茶する)
みたいな。どうこれ?
どこから参加してもいいし、どこで抜けてもいいやつ。

で、ちょっと話変わるけど、私がもし交流会をやるとしたら気を付けたいことを常々考えているんだけど。

・「お金がない」で参加を諦めてほしくない(ので、無料もしくは出来るだけ安価にしたい)
・「申込・欠席の連絡がエラい」が参加のハードルになるのは勿体無い(ので、出来るだけハードルを下げたい)
・クローズがクローズのままで行って帰れる場にしたい(ので、そんなに大っぴらに宣伝とかするとなぁとも思ったり…)

これ3点。

1個目については、私、身銭切る。お金が障壁になってるなら、出せる人が出せばよい。簡単。

2個目はちょっと難しい。これを解決するためにはちょっと「制限」っぽいものが発生するかもしれない。出席・欠席の連絡を完全に不要にするとしたら、例えば定員を少なくするとか?大人数だとお店とか予約しないといけなくなって増減の管理もキッチリしなきゃいけなくなるけど、少人数なら予約しなくても入れる所に入ればいいので、ブッチ(連絡なしの欠席)含む急な人数の増減にも対応できるかなと。最悪一人でもいいし。(笑)

3個目はさらに難しい。「オープンに話せる場」と「クローズのまま居られる場」が共存するって…どういう状況?(?)他のお客さんが居なくて(あるいは個室タイプ)自由に話せて、かつ行きかえりに他者に目撃されないような…?(?)難問かな…。
ランチ会、お茶会の場所は、もちろん安全確保のために「事前申し込みをしてくださった方にのみお知らせ」ということにするけど(この時点で2個目が矛盾…つらい)、お店選びも結構慎重になってくるというわけですよね。悩ましい。
あ、でもこれについてアレコレ思ったこと書いちゃうと鳥取市内のお店なんて絞られてきてしまうな…書くのやめよ。


それとね、なんというか「おめぇがそんなこと言うのダメだろ!!」って自分でも思うんだけど、私、交流会とかは「アライ不可」にしたいんだよね…。いやほんと、いちばんダメな発言かもしれんけど。(注:書いてる途中でそんな話でもなくなってきたので、アライの方も読み進めて欲しいです…ごめんね)

というのにも理由があってさ、なんというか…「理解してやってる」「支援してやってる」みたいなアライって…いませんか…。非常に心苦しいんだけど。もちろん、アライがみんなそうとは言ってないよ!
そういう人がたまに居てて、そういう人に限って悪気なくアウティングとかしちゃう気がするんだよね…。「これから○○でセクマイ交流会!」って呟いちゃうみたいな。こちとら「何のために場所を秘密にしたと思ってんだよ」みたいな…。(実際にあったわけではないよ!)
「今日はビアンの子やトランスの子とお話しできてよかった~」とか言っちゃうとか。この田舎じゃこれも立派なアウティングよね。
なんかこういうことが次々と浮かんできちゃって、本当は「こういうことやめてね」ってしっかり全員に伝えて、参加できない条件の人がいないようにしなきゃいけないんだけど、どうにもそこんところが対処出来そうになくて…。誰がどこでどんなことを言うか分からんし。

でもそれってよく考えたらアライに限った話じゃないなぁ…。オープンの人が「みんなオープンなテイ」で無自覚にアウティングする可能性もあるし…。アウティングに限らず、Qやフルイドの人に対して「あなたのセク何なの?」って聞かれたりすると、「自分でもわからんのじゃボケ~!」ってなるしなぁ(私はコレ)。セクマイ側の人に傷付けられる可能性もあるわな。

そもっそも、「オープンな人が企画する場」にクローズの人が参加するって、すごく難しいよな。「あ、あの人と仲良いってことはそうなのか」みたいな思われそうだし、危険が伴うよね。そういう時って、いくら場所を非公開にしてても、「主催者」を探せば「あの集まりはソレだ」ってわかるわけだもんね。ダメだな、なんでもオープンにすりゃいいってもんじゃないな。アイコン変えよ。(色々手遅れ感…)


なんか色々考えること浮かんできてパンクしそうになってきた…これだから交流会は…。
でも、細くてもなにか繋げなきゃな。私の命綱でもあるし…。

(つづく)

共通認識はあった方がいいけど、縛りは作りたくないなぁ…の話

ちょっと自分でもこんがらがりながら書き進めてみます。
交流会をぼちぼちやりたいなぁと思うけど、交流会にはいろんな人が来るので、やっぱりあらかじめ決まり事を決めておいた方がいいと思うんだよね。
オープン(セクを公にしている人)とクローズ(セクを公にしていない人)が同じ場に集まるかも、とか思うと大変なことよね。
私が主催の交流会となるとミックス(セクシュアリティ問わない)になるから、それも考えないといけないし…。

で、「ルールは作りたいけど縛りは作りたくない」の意味だけど、たとえば「トランス・クロスドレッサー(異性装者)は、パス度が低い場合はお断りする場合があります」とか、言いたかったりするのよね、すごくダメだし言いたくないんだけど。


というのは、交流会の場所にもよるんだけど、もしカフェとかでお茶会をするのであれば、「モロ女装」「モロ男装」の人が居たら、セクマイの集まりだってバレるじゃん。その場にクローズが居たら、多分即帰宅するよね。
でもセクマイの交流の場だとしたら、外見がどうであれ「自分」を隠す必要はない場でなければいけないとも思うのよ。どんだけパス度低くても「あなたはあなたのままでマルやで~」って、私は言いたいわけやから。
でも…でも…ってなっちゃう。

ほかには、参加資格的なこと。アライを入れるかどうかも悩ましい。これもそんなこと言うべきではないんだけど、難しい。
これまで「アライ」を自称する方に、「ワ~それはやめてくれ~」ってことをされた経験があるんだよね。アライに傷付けられ体験、みたいな…。
例えば、本名をネット上に出されるとか。
まぁ私は一応活動名を付けてるだけでガチガチに隠してはいないから、バレても別にいいんだけど、「活動名」は活動名として必要だからあるのであって、「団体名○○、ある氏(本名××)」とかって並べて言われたり最悪SNSやブログに書かれたり、記事やお便りに書かれてしまうと、なんだかな~ってなる。
私は大丈夫だけど、他の人にはやっちゃダメだよ。でもそれにちゃんと気付いているんだろうか…って思っちゃうんだよね。そういうことをグランドルールに挙げだすと、なんかキリがないような気がして。

明らかに「セクマイは支援しなければならない存在・理解してあげなければならない存在」ってテイで来るアライもいたりね…。まぁそれで言うと「私はどんな姿でも受け入れてもらえるべきだ」「私は支援してもらうべき存在だ」みたいなテイでグイグイくるセクマイもいるからお互いさまかもしれんけど…。
うーん、やっぱり迷走してきたな。笑
ちょっと語り口を変えようか…。


私は「オープンである」ということ以外(まぁそれを含めても)普通のセクマイ。なんの変哲もない、すごくもない、専門家でもない。で、何者を目指しているわけでもない。
ただただ映画観るだけの会とか、ドライブ行くだけの会とか、そういうのをしたいだけなんだよね。セクが何であれいいじゃんっていう環境を「フツー」にしたいだけなので、別に特別なことをするわけじゃないんだよね、それこそ「LGBT特権」なんていうのじゃなくて。笑


あ、そっか、そういうことか。「フツーにしたい」という最終目標があるのに、その取っ掛かりとして始める交流会に「ルール」があるのが違和感なんだ。それか、それだ。

うーん、めちゃくちゃしっくりきたけど、だとしたらどうすればいいんだ??

ルールなしで…やるのは怖いよね…いや、私が「それはやめてね」とかって発言する勇気があって、安全が確保できる力があれば、それでもいいのかもしれない。けどそんな力無いしなぁ…。参加者に協力してもらいたいことが山ほどある。困ったもんだ。

グランドルール…困ったな…。

うーん…
とりあえず、今日はここまでにしよ。(急)

グランドルールみたいなものを考え始めた(とてもながい)

1. いろんな人が参加します

セクシュアリティはもちろんいろいろです。

ほかにも、自分のことを話したい人、話したくない人、オープンの人、クローズの人、意見、考え方、悩み…いろんなことが「色々」です。

自分と同じ属性の人や、同じ悩みを持っている人に出会うと、1人じゃないんだなと思えて嬉しいです。

でも、やっぱり「同じ人」はいません。他の人の考え方や生き方に「正解」や「不正解」を付けたり、「そんなのおかしい」と言わないようにしましょう。

また、「いいな」と思った人の全部を真似する必要はありません。自分の意見や気持ちを大事にしながら、いろんな人に出会いましょう。


2. 受けとめてもらえると嬉しくなる

話が上手く出来なくても、言葉で上手く表せなくても、頷いてくれたり、最後まで話を聞いてもらえると嬉しくなります。

自分と意見が違っても、「そうなんだね」と言ってもらえると嬉しいです。

自分のことを一度受けとめてもらえると、そのあとに違う意見を言われた時も、落ち着いて聞いて、「そうなんだね」と受けとめることができます。

他の人の話を聞いて、「自分はそうは思わないなぁ」と思った時は、「受け入れ」ではなく、「受けとめ」を意識しましょう。


3. つらかったことを話すときはみんなに伝えてから話す

つらかったこと、しんどかったことを話したり、聞いてもらえると心が軽くなります。心を軽くして帰るのも、会の大事な役割です。

でも、つらかった話、しんどかった話は、聞いている人もつらくなったり、しんどくなったりする時もあります。

そうならないためには、「つらかった話を聞いて欲しい」と伝えて、「いいよ」を言ってくれた人に聞いてもらえば、大丈夫です。

もし、他の人の話を聞いていてしんどくなったときは、席を離れてゆっくりしてください。1対1で話している時は、主催者を呼んだり、「違う話にして欲しい」と伝えます。

「違う話にして欲しい」と言われた人は、一旦その話をやめます。どうしても話の続きをしたい時は、時間をあけたり、話を聞いてくれる他の人を探します。

また、たのしかったこと、よかったことを話すときも、聞いていてつらくなっている人がいないか、ちょっとだけ周りを見てみましょう。


4. わからないことがあったら聞いていい

わからないこと、知らないことは誰にでもあります。わからないことがあって当たり前で、知らない自分が情けないとか、恥ずかしいとか、思わなくていいです。

「それってどういうこと?」「もう少し詳しく聞きたい」など、たずねてみてください。

誰かが質問をしたら、知っている人が答えてください。「答え」がいろいろある質問もあるかもしれません。そういうときは、「いろいろあるね」をみんなで共有します。

すごく間違った「答え」を言う人が居たら、主催者がとめます。

「すごく間違った答え」とは、答えた人も含む誰かを傷付けたり、危険な考え方だったりするものです。

もし「すごく間違えてるのに主催者がとめてくれない」と思うことがあったら、その場でみんなに「どう思う?」と聞いてみましょう。あとでその人が居ない場でみんなに聞くことは避けます。


5. とにかく、無理をしない

心が軽くなる場所のはずなのに、逆に重くなってしまうように感じた時は、とにかく無理をしない。

会の途中で席を離れてもいいし、帰っても大丈夫です(帰る時は、主催者に伝えましょう)。

また、当日の朝に「行きたくないな」と思ったら、お休みして大丈夫です。

お休みする時に「行くって言ったのに申し訳ないな」とか、「なんで行きたくないんだろう」とか、いろいろ考えてつらくなる人もいます。そういう時はお休みの連絡を取るのもつらいので、連絡をしなくてもいいです。

お休みの連絡が無かったときは、主催者が近くの駅や道路で事故が起こっていないか確認します。事故などが無ければ、「〇〇さんは、お休みか、途中から来る」と判断します。会が終わったら、「解散しました」ということを連絡します。

事故や問題が起こっていたら、安否確認のために連絡をします。「既読」になったら、安全だなと判断できるので、既読を目安にします。


6. 1回1回を大事に

何回も会を開いているうちに、顔見知りになったり友達が出来たりするかもしれません。でも、初めての人もいるかもしれないし、前会ったときといろいろ変わっているかもしれません。なので、会は何回目でも自己紹介から始めます。

自己紹介では、「呼ばれたい名前」を伝えてもらえたら、あとは自由です。セクシュアリティも、絶対に明かさないといけないことではありません。

誰かがいろんな自己紹介をしてくれたら、「同じくらい自分も話さなくては」と思ってしまうことがあります(なんとか効果)。でも、自分が話したいこと、量だけで大丈夫です。

たくさん話してくれた人も「自分はこんなに話したのに、なんで他の人は話してくれないんだ」と思わないように、この「なんとか効果」があることを心に留めておきます。みんなが無理のない自己紹介をしましょう。

また、セクシュアリティや考え方が前回から変化することがあります。それもそれとして、「矛盾だ」とか思う必要はないです。1回1回、その時間を大事にしましょう。


7. ルールも変わっていきます

今のところ、主催者が考えつくことをいろいろ書いていますが、いろんな人の意見や、回を重ねるごとに得た経験をもとに、「これは違うな」とか「これはもうちょっと付け加えたいな」とか、増えたり減ったりしていくと思います。

これからこの記事に、「取り消し線」や「(追加)」や「(補足)」や「(訂正)」が入る可能性があります。何度でも読んでみてください。また、「ここはこうじゃないかな」と思うことがあったら、主催者に連絡してみてください。



検索上位に爆サイが入ってても絶対に見ないで。振りじゃなくてマジで心が死ぬ

鳥取 LGBT」で検索したら、上位に爆サイLGBT掲示板があったので何気なく見てみたら、膝から崩れ落ちた。10年前かよ…酷い状態。
まぁああいうところに嬉しいことが書かれることなんて少なかろうから、別に真っ向からダメージ喰らったわけではないんだけどね…。
セクをオープンにしていて、理解者がいる環境で生活しているというだけなのに「環境が良くなった」と錯覚していたよ…。フォビアがある人は遠ざかっているだけなのかもね。クローズには相変わらず地獄だし、ネットしか情報源が無い人にも地獄だ。やっぱり活動は辞めてはいけないなぁ。

いま中学生向けの研修資料を作っているところなんだけど、なんか色々行き詰まっちゃったな。中学生とはいえ、爆サイに書かれていたみたいなヘイトをぶつけられたら、私ヤバいぞ。メンタルが死ぬぞ。なんか一気に怖くなってきたな…。

貧胸手術がメジャーになって欲しい話

付け爪、つけまつ毛、エクステ、つけ八重歯と同じように、乳も付け外しできるようになればいいのにと常々思ってます。っていうのが、今日の話題です。

 

私が持って生まれた身体は女性。大人になってみると「かくもこの世はままならぬ」とため息を吐かずにはいられないほど立派な女体になりました。この残念さは「ガチャが外れた」時のソレ。

性別ガチャもハズレだし、女体ガチャもハズレです。うーん、こんなはずでは…。

ガチャが失敗するとどうなる?そう、課金だ!…という話は後半に回すとして。

 

私は色々あって(割愛)、自分を性的な目で見られることに強い嫌悪感を抱く。だから、「乳よ、そんなにアピールせんでもええわ!へっこんでやがれ!!」と思っている。子どもも産むつもりがないし、産んでも使う気が無い(世のママたちが「乳首千切れる」と叫んでいるのを見て恐ろしくなった)ので、いよいよ乳の存在を問わずにはいられなかった。

ファッション面でも、バストに合わせるとウエストがばがば、ウエストに合わせるとバストぎゅうぎゅうみたいな事態になるし、大好きなオーバーサイズのトップスも、思うような着こなしにならない(縁起でもないけど、オーバーサイズのスウェットを着た時は、双子が面布をかけたみたいに見える)。

 

 

私はたぶん、「トランスジェンダー」というわけではない。と思う。自分の身体に違和感や嫌悪感があったりというわけではなく、詰まりすぎた脂肪に物申したいことがあるだけなので、多分違う。

ここで「私はトランスジェンダーではないと思う」と宣言することの意図は、性自認と性表現が全く別のものであるよということを伝えたいというところにある。トランスジェンダーは皆異性装をするわけではないし、異性装者はみんなトランスジェンダーであるわけではないということだね。

 

…で、だ。最初の方に言っていた「ガチャが失敗すると課金だ!」の話になるけど、「性別ガチャ」で女、「女体ガチャ」で想定外の脂肪を手に入れてしまった私に与えられた選択肢のうちの1つが「課金」である。つまり、豊胸ならぬ「貧胸」にお金を費やそうということですね。

 

今のところは、ナベシャツやスポーツブラ、「胸が小さく見えるブラ」を試しながら、なにが合うかを選んでいるところ。でも、「押さえつけ」「締めつけ」って身体に悪そうで。

血の巡りが悪くなったり、肋間神経痛になったり、内出血したり、肩こりが悪化したり。

脂肪チャンがジワジワともたらすダメージを蓄積するのと、1回パンと手術する時のダメージは、実は変わらないんじゃなかろうか…と思ったりもする。そう思うと、パンとBカップくらいにしてもらって、ジワジワダメージを無くしちゃった方がお得なのかなぁなんて思っています。

 

 

でも、身体に手を加える決断は、そうそう簡単に出来るものではない。一度手放した「天然乳」はもう二度と帰ってこないのだから、よく考えて、じっくりと決める必要がある。もちろんお金もかかる。で、今のところセクシュアリティがフワフワしているので(これからもフワフワな可能性もあるけど)、今は決断の時期ではないと思う。もうちょっとの間は、この愛しい脂肪チャンたちと付き合っていこうと思っている。

 

もし二重手術とかみたいにメジャーになったら、また考えようと思う。

講師依頼してきた人が目の前で寝てた時はさすがに怒りそうだった。

これまでの活動でしんどかったことを書いてみたい回です。


身体がしんどくて横になりたい人が、部屋を片付け、布団を敷いて、薬を準備し、他の人に「自分の病状はこんな風でね」と説明して、病気が怖いものでないことを理解してもらって、助けてくれる人を探す。…という作業をする姿を想像して欲しい。
誇張しすぎかもしれないけど、これが、いま鳥取の性的マイノリティ関連の団体がしている活動の姿です。
なんなら、自分も身体がしんどいなかで、「他の身体がしんどい人のためにもなるから」と、自分の病状を大勢の前で話したり、余計に部屋を片付けたり、余計に布団を敷いたりもしています。そりゃ、倒れますよね。

ということで、私が所属している団体が11月末で解散します。でもこのことに関して、「なんで?」とか、「もったいない」とか、言わないようにして欲しい。ずっとずっと、頑張ってきたんです。いい加減、ゆっくり休んでほしいです。
(注:ちょっと例えが悪かったな…と思ったけど、これしか思いつかなかったです。ごめんね。例えだから勘違いする人はいないと思うけど、一応「性的マイノリティは病気じゃないよ」ということを注釈しておきます)


私らが今までやってきた活動というのは、「講演をすること」「交流会をすること」「啓発活動をすること」でした。
でも、活動の中でエラク(=しんどく)なってくる人も大勢いました。それもそのはず、だって私たちは傷付いている当人たちだから。「傷付いている当人たちが、他の傷付いている人たちのために居場所をつくる」とか、「傷付いている当人たちが、傷付けている人達(マジョリティ)に対して啓発活動をする」とか、そりゃ、エライですよ。
余計傷付くことももちろんあります。講演中に寝る人とか、笑ってる人とかはまだマシ。ひどい人は「治るんでしょ?」とか聞いてくる。研修でボロボロになった日は、「なんで私が矢面に立たなきゃいけないんだろう」って、泣いてしまうこともあった。「もっと行政とか、教育とか、そういう人達がちゃんとやってよ」って。でも、そもそもそういうことになっていないから「啓発」をしないといけないわけで。だから、まだまだ、こんな所で折れちゃダメだって踏ん張りながら、演台に立ってきた。

交流会だって、本当は私達も「参加する側」に居たかった。100%安心できる場に居るだけがよかった。けど、私たちは100%安心できる場を「提供する側」で、いつもドキドキしながら過ごさなきゃいけなかった。

簡単にいうと、当事者が活動をするというのは、「めちゃくちゃエライ」です。
これは、セクマイにしても、同和問題にしても、発達障害にしても、外国人にしても、女性にしても、なんでもそうだと思う。

私達は「アライ(理解者、支援者)」を求めています。というか、誰か助けてほしい。
変な話、自分が当事者ではない物事に関しては、腹は立つけど傷付かないじゃないですか。「おかしい!」「なんとかせねば!」とは思うけど、自分の生きる意味を見失ったり、死んでしまいたくなるようなことはないじゃないですか。だから、当事者のために立ち上がって欲しいんです。
欲張りだけど。でも、本音です。私はこう思うからこそ、音訳ボランティアだったり、発達障がいの勉強だったり、部落問題の勉強だったりを、してます。当事者がエライのは分かってるから。私が出来ることをする!って、思ってます。


話それたな。戻します。
でね、こういうように、「当事者が活動する」って、とってもエライことなんだと思うのです。無くなっていく団体や、更新が途絶えている団体も多い。すんごく強い人でないと、ずっとは続かないと思ってます。
私が活動を続けられているのも、実家を出て、地元を出て、人権に関わる仕事ができる職場でオープンに働ける環境があるからです。今は所属している団体で何の役職も持っていないことも、デカいです。
これから転職したり、環境が変化したりしたら、どうなるかはわからない。今の環境が恵まれているだけで、一歩違う環境に入ったら、まだまだクローズにならざるを得ない状況があるのだと思います。
私自身は、既にちょっと検索掛けただけで「この人だ!」ってわかるくらいになってしまった(ビッグになったわけじゃなく、鳥取に活動してる人が少なすぎて)けど、もしかしたらそのせいで就職差別されたり、人間関係を壊される可能性だって、余裕であるからね。


当事者の活動には、メンタル的にも、リスク的にも、人材的にも、難しいところがある。
ので、団体は無くなっても仕方なかったと思うし、メンバーのメンタルがぶっ壊れるよりも100000000倍マシだと思っています。
で、私も私で、活動を続けたいけど自分のメンタルを第一に考えて、ゆるりと、でもいないことにはならないように、活動を続けていこうと思います。どうぞ、よしなに。